人間の行動は複雑な心理状態に支配されている??
【本記事は、馬場正博氏にご寄稿頂きました】
次の二つの質問に、あなたはどう答えるでしょうか。
一つは「あなたは1万分の1の確率で死亡する重大なウィルスに冒されている可能性があります。この危険から逃れるためにいくら支払いますか」というもの。もう一つは「1万分の1の確率で死亡する危険のある医学実験の被験者になるとすると、いくらなら引き受けますか」というものです。単純に考えれば二つの質問は1万分の1の確率の死の危険に対しいくらの値段をつけるかというもので、答えは同じ金額になりそうです。
ところが実際にアンケートを実施すると、金額では何桁もの違いが出てきます。一般に人は前者の今ある危険を取り除くより、後者の新たな危険を負わない方にはるかに高い値段を付けるのです。
「一物一価」ということを言いますが、伝統的な経済学では物の価値は定義でき、人は自分が最大の価値を得るように行動すると考えます。ところが今の例でもわかるように、実際の人間の行動はもっと複雑な心理状態に支配されていて、簡単には決まりません。
このような現実を前提として経済学を見直そうというのが行動経済学です。
喫煙リスクの値段
喫煙を今ある危険と考えるか、新たに加えられた危険と考えるかで、喫煙者と非喫煙者の間には根本的な違いがあります。
喫煙者にとって、煙草を止めるというのは、喫煙のリスクを取り除くために、禁煙という代償を支払う行為です。これに対し、非喫煙者にとっては煙草の煙にさらされるのは、新たな危険を負わされることです。同じ煙草の健康上のリスクでもリスクの値段は喫煙者と非喫煙者では冒頭の例のように何桁も違っている可能性があります。喫煙派が嫌煙の広がりを「ヒステリック」とさえ感じるのは、行動経済学的な理由もあるのでしょう。
さらに、喫煙者にとっては煙草を吸うことのリスク自身の評価が非喫煙者と違っている可能性があります。喫煙のリスクは、たとえば1万分の1確率で今すぐに死ぬ可能性があるというものではありません。何年あるいは何十年か先にガンその他で、早死にする確率が高くなるというものです。経済学では将来の利益あるいは不利益は現在の利益、不利益とは同等ではなく一定の割引率で割り引きます。割引率が年利10%だとすると、1年後の1万円は9千円、10年後であれば3千5百円の現在価値を持つというのが割引率の考え方です。割引率は将来の不確定性を織り込む方法だと考えられます。
ところが、ふたたび行動経済学的に実際の人間の行動を見ると、人間は目先の利益にとらわれやすい、つまり割引率を不合理なほど高く設定してしまう傾向があります。たとえば、今日10万円をもらうか1月後に12万円もらうか、どちらかを選べと言われると、多くの人は今日10万円もらう方を選びます。ところが、1年後に10万円もらうか13ヵ月後に12万円もらうかどちらかと言われると、今度は13月後の12万円を選びます。割引率は時間的に近いほど大きいのです。
これは今とりあえず10万円を確保しようという話と、12ヶ月後に10万円くれるなら13ヶ月に12万円くれそうだという話を比較しているところがあるので、必ずしも単純な割引率の違いではないかもしれません。ただ、目先の利益に目を奪われがちなのは、目の前の獲物を逃したらいつ捕まえることができるかわからなかった昔の人類の経験の積み重ねが原因だとも言われています。確かに、言葉すらないような時代の人類が割引率などということを計算しながら行動していたとは思えません。
喫煙者にとって、肺ガンその他の健康上のリスクがあったとしても、そのようなリスクが現実になるのはずっと先の話です。今煙草を吸う快楽がわずかなものでも、遠い将来のリスクの高い割引率と比較すれば、十分に割りのあうものに思えるのです。 将来に不当なほど高い割引率を設定してしまうのは、地球温暖化の危険を防ぐために化石燃料の消費を押さえようとすることに対する反発や、少子高齢化にともなう年金政策の見直しなどにも現れます。高い割引率は喫煙者の専売特許ではありません。
孔雀の羽根にみる喫煙のきっかけ
それでは、そもそもなぜ人は喫煙の習慣を身に付けてしまうのでしょう。
習慣的喫煙者にとって煙草を吸うことは快楽でしょうが、最初から煙草をおいしいと感じる人はそれほど多くはありません。もちろん中毒になどなっていません。おそらく大部分の人は中学生か高校生の頃、ちょっと大人のふりをしたり、親や学校に禁止されていることをすることをしてみたいという気持ちで、煙草を吸い始めたはずです。
いくら子供は思慮が足りないといっても、特に好きでもない煙草を、親や学校、それどころか法律に逆らって、わざわざ吸おうとするのは、あまり合理的とは思えません。自分にとって目先の利益にならないのに、ちょっと大人びたふりをするためや、親や学校に権威に屈しない態度を見せようとするのは、特に男の場合は性選択を求めている、簡単に言えばもてたいという気持ちが根底にあるからと思われます。
自然淘汰というのはダーウィンの進化論の基本になる考え方ですが、これは生物間の競争でより沢山子孫を残した方が繁栄するというものです。つまり、子孫を残せなければ、いくら強くても意味がありません。そのためには異性から選ばれる存在であること、つまり性選択に勝つ必要があります。そして性選択のために、生物は個体の生存に不利な行動も進化の競で勝ち抜くために受け入れる場合があるのです。
性選択の典型的な例としてはオスの孔雀の見事な羽があります。孔雀のオスは見事な羽を持っていますが、羽を作るために栄養的にも多大のコストをかけています。ところが、立派な羽は動きを鈍らせ獲物を取るのに不利になる上に、敵には見つかりやすく捕まりやすくなります。
それでも孔雀のオスが羽の立派さを競っているのは、メスが羽の立派なオスを好む傾向があるからです。メスから見ると、様々の不利な条件にもかかわらず立派な羽を維持できるのは、それだけ生命力が強い、つまりよりすぐれた子孫を残せる(ダーウィンの時代には知られていませんでしたが)遺伝子を持っていることを示しているのです。
人間の男も、フェラーリに乗ったり、高級時計を身に付けるのは、高い物を持つと豊かになれるからではなく、高い物を買える経済的な余裕を示して、女性の気を引こうと思うからだと考えられます。同じように、禁止されても煙草を吸うのは、「社会に逆らっても生きていける」ような強い男だということを意識的あるいは無意識に証明しようとしているのです。
そう考えると、煙草を吸うのが圧倒的に男性が多いのも理解できます。女性は反社会的な行動を成熟の象徴と考えるようなことはあまりせず、性選択には化粧や豊胸という手段を使います。もちろん実際には、男が、まして中学生が、煙草を吸ったからといって、性選択の恩恵にあずかる、つまりもてるようになるかは全く疑問なのですが、主観的にはそれがうまくもない煙草を吸い始める大きな動機になっているようです。性選択のために喫煙を始めたり、将来のリスクに対し不当に高い割引率を設定したりするのは、少なくとも健康を維持するという点では、経済的には不合理な行動です。
ただ、冒頭の例で示したように、それでもリスクを新たに背負い込むのではなく、もともと持っているリスクを取り除くためには、人間はあまり高いコストを負担をしようとしません。やっぱり、喫煙派と嫌煙派は理解できない間柄なのでしょう。
(本記事は「ビジネスのための雑学知ったかぶり」を加筆、修正したものです。)
馬場 正博 (ばば まさひろ)
経営コンサルティング会社 代表取締役、医療法人ジェネラルマネージャー。某大手外資メーカーでシステム信頼性設計や、製品技術戦略の策定、未来予測などを行った後、IT開発会社でITおよびビジネスコンサルティングを行い、独立。