観察眼がすべての根源。
この連載では、バガボンドの主人公 宮本武蔵の”戦闘”シーンを抜き出し、武蔵の成長について読み解いていきます。連載第20回の今回は、柳生兵庫助との邂逅です。
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柳生の後継者 兵庫助との出会い
柳生兵庫助は、祖父である柳生石舟斎に故郷に呼び戻されます。柳生の里に辿り着き、城に戻る前に身を清めようと入った旅籠の風呂で、武蔵とその弟子の城太郎に出会います。
武蔵に対して、兵庫助は話しかけます。
兵庫助:風呂が嫌いかね
武蔵:いかにも
兵庫助:俺もだ
なんてことない会話のようですが、兵庫助は、こう続けます。
風呂嫌いの理由を当ててみせようか
心の構えーーー 常日頃 気と体の状態は いつ何どき斬りかかられても瞬時に対応できるよう備えている 猫のように
垢と一緒に その構えまで解かれてしまう気がする故に 風呂が嫌いと
まさに言い当てられて、ハッとする武蔵。そんな武蔵の驚く顔をみて、喜びをたたえた表情で兵庫助は続けます。
あんたは 何となく 俺と同じのような気がした
たったこれだけの会話です。互いに名乗ることもないまま、二人は分かれますが、その後、宿に到着した武蔵は、部屋に一人座り
まだまだ 世の中に強い奴はごろごろいるらしい
名前を 聞いとくんだった
と、とても満ち足りた表情を浮かべるのでした。
また、一方の柳生兵庫助も、祖父から一子相伝の「新陰流の極意」を受けた後に、武蔵についてこう語ります。
立ち姿は弛みなく その所作にもスキがなかった
それでいて顔はまだ10代の少年とも見えそうな若さ 名を聞くのを忘れたなぁ
(中略)
帰り道の旅籠の風呂場でさえあんな男がいた きっと世の中は 俺が考えるより広い
まさに、同じ匂いを感じていたのでしょうね。
武蔵、柳生の強さを感じる
また、この出会いに先駆けて、柳生の里について武蔵が語るシーンがあります。
不思議な国だ ここは
山に樹が多い
ここの樹々は みな樹齢が経っている これはこの国が戦火にかかってない証拠だ
敵の乱伐を受けてないということだ
京 大阪 尾張のすぐ近くでありながら 長い戦乱の世をよく生き延びてきたもんだ この小城が・・・この山ん中の村が
それも即ち 領主・石舟斎の偉大さ・・・ということか
この見立ても見事なものです。実際、孫の兵庫助に極意を相伝した石舟斎も、同じことを述べます。
石の舟はついに浮かばず・・・!! ぬっふっふ
昔 足利将軍によい待遇で誘われたことがあったが あのときついていっていれば その後 織田信長に討たれたろう
のちの信長の招きに従っていたとしたら 豊臣秀吉との間はどうなったか分からん
太閤の恩顧を受けていれば 当然 柳生家の命運は 関ケ原で徳川家康によってつぶされておった
水面はいつも荒れ狂う乱世じゃった じゃが石舟はついに浮かばず この山間の三千石は残った
深く静かな水底で磨きぬいた兵法は夕べーーー一族の最高傑作の手に渡った!!
このことから、武蔵の視点は十分に正しく、また、視野も存分に広いことが伺えますね。
”観る”ことからすべては始まる
今回取り上げた、柳生兵庫助との出会いおよび、柳生の里の捉え方は、まさに「見る(あるいは、観る)」ということです。
バガボンドにおいて、この見る/観るという行為は、非常に大きな意味があります。最初は、やはり、沢庵和尚が武蔵に語ったこの話でしょう。
一枚の葉に とらわれては 木は見えん
一本の樹に とらわれては 森は見えん
どこにも心を留めず 見るともなく 全体を見る
それがどうやら・・・・・・ 「見る」ということだ
そして、胤舜との一戦でも「胤舜のまつげが長い」とか「意外と若い」とかまで見えます。また、攻撃も見えます。見えるからこそ、後の先も取れるというものです。
「後の先」といっても何のことかわからない、と言う方は、日経新聞の横綱白鳳に関するこの記事*をご覧いただくと良いと思います。
古武道の一流儀に「七分三分の見切り」という秘伝がある。相手が刀を振り出してから、自分の身に到達するまでの動きを10段階に分ける。相手が六分まで来たところで、待ち切れずに動いてしまえば、相手は最初の太刀筋を軌道修正することができる。八分まで待てば、時すでに遅し、一刀両断だ。理想は七分まで待って動くこと。早くても遅くてもよくない。ただ一点の見切りこそが「後手必勝」の理(ことわり)である。そう伝承されている。
いずれにしても、武蔵の観察眼が、しっかりと鍛えられていることが今回わかりました。修羅場をくぐるって大事ですよね。また、同じような感覚を持った達人(しかも、おそらく、ほぼ同い年くらい)である兵庫助と出会ったことで、武蔵は刺激を受けました。
僕も、リアルワールドで、もっともっと「観る」ことに注力していきたいなと思います。そして、周囲の人の「観る力」を理解し、互いに評価し合えるような関係を築いていきたいなと思いました。(そのためには、自分自身をもっともっと磨かないといけませんよね)
さて、この武蔵の「観る力」は、次回、さらにその威力を発揮します。お楽しみに。
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脚注*:白鳳の記事ですが、2010年のこの記事の中で、「2年間、後の先の探求に費やしてきた」とあります。一方、グーグル先生に尋ねると、日刊ゲンダイの2015年のこの記事がヒットします。「一朝一夕では身につかない後の先を、付け焼き刃でやってるから結果が出ない」という文面なのですが、ちょっと事実と異なっている気がしますね。白鳳の「後の先」についてグーグル先生で検索される方は、(日経が有料記事ですから、会員以外は読めないので)誤解なきようお気をつけいただければと思います。