第十四戦:vs 宝蔵院 阿厳-あごん- (第4巻より):”強み”は時として”成長の妨げ”となる|バガボンドを勝手に読み解く

AUTHOR :  田中 耕比古

成功体験に縛られると、成長できない

この連載では、バガボンドの主人公 宮本武蔵の”戦闘”シーンを抜き出し、武蔵の成長について読み解いていきます。連載第14回の今回は、宝蔵院のNo.2に相当するつわもの阿厳(あごん)との戦いです。

バガボンド(4)(モーニングKC)

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槍の間合いに辛勝

例によって、殺気ムンムンで現れた武蔵は、朝霞の中にいるときから阿厳に存在を気付かれます。

ひどく乱暴な… 原始的な… 獣じみた殺気…!!

敵…!!

そして阿厳は、武蔵が霧の中から姿を現した瞬間に、続けざまの二撃を打ち込みます。それに機敏に反応する武蔵。さすがに場数を踏んでいます。そんな風に対処されたことに驚いた阿厳は、名乗ります。

阿厳。そなたを屠るものの名だ

武蔵は、「宝蔵院胤栄のほかにも、こんなに強そうなやつがいるのか」と思いながら、自身の名を名乗ります。阿厳は、噂の宮本武蔵が意外と若いという事実に驚きつつ、「いかなる才を持っているにせよ、まだ生まれたままの相(すがた)ということか」と、まだまだ修行の足りない存在であると理解します。

阿厳からの激しい打ち込みに防戦一方の武蔵ですが、木刀を叩き落とされ万事休すと思った刹那、阿厳のトドメの一撃を紙一重で躱します。そして、阿厳の顔面に正拳突きをくらわせて形勢逆転。さらに、奪った槍を大上段からフルスイングで脳天に振り下ろして勝負アリ。ピンチからの大逆転勝利です。

強い、が、脆い

なんとか勝利をおさめた武蔵ですが、宝蔵院流槍術の強さに感じ入ります。また、勝利に関しては

俺の木剣が落ちたら こいつの突きも粗くなった

……俺も気をつけよう

と、非常に厳しい戦いだったと分析します。

阿厳は超強く、武蔵は天賦の才に満ち溢れている

この連載は、宮本武蔵の成長を追う事が目的のため、武蔵が登場しない場面はすっ飛ばしています。ただ、そのすっ飛ばした描写の中で、阿厳の強さが語られていますので、それについては少しだけ補足しておきましょう。

道場破りを続けざまに倒し「阿厳 そなたを屠ったものの名だ」と述べます。また、祇園藤次に対して臆病風に吹かれた門弟をボコボコにしたり、宝蔵院の2代目 胤瞬 とも(それなりに)打ち合う能力があります。

お気づきのように、阿厳は、相手に名乗る際に「そなたを屠ったものの名だ」と”過去形”を使います。つまり、名乗るヒマもなく倒してしまうので、事後で名乗るしかないわけです。一方、半ば不意打ちのような打ち込みであったにもかかわらず、うまく対処した武蔵には「屠るものの名だ」”未来形”で名乗ることになります。つまり、武蔵は相当強い、ということを意味しています。

そんな武蔵に対して阿厳が「まだ生まれたままの相(すがた)」という風に感じるのは、「獣じみた殺気」に依るところが大きいでしょう。

獣じみた殺気=武蔵の”本質”は、同時に成長の障壁でもある

前回、老僧にも諭されたように、武蔵の殺気は「不細工」と評されるような代物です。周囲を敵に回し、自らを窮地に追い込む「強さの対極」に位置するものです。

然しながら、武蔵は天賦の才・天性の勘に加えて、幼少時から鍛え抜いた身のこなしによって、その殺気によって作り出した敵と対峙しても生き抜いてきています。ただ、その勝利は、当初の頃とは違い、徐々に「厳しい戦い・接戦」になってきています。

武蔵の望む「強さ」を体現するためには、より強い敵を順番に倒していけばよいと考えている武蔵ですが、それに対して老僧が述べた「その頃まで生きてられるかの?」という言葉が、まさに本質を言い当てています。接戦になると、勝利は必然ではなく偶然(運)になってきます。さて、運を天に任せていて、人は生き延びられるのでしょうか。

勝利の”確度”はどう上げる?

ストーリーとしての競争戦略というベストセラー書籍があります。この本の良さは色々あるのですが、僕にとっては「成功の確度をどれほどあげられるかが、経営者の力量」という点が、もっとも感銘を受けたポイントです。

現時点での武蔵は、この「成功の確度」=「勝利の確度」を上げられていません。行き当たりばったりです。それでも、ここまで生き抜いてきているのは素晴らしいことですが、それがいつまで続くのかは判断に困るところです。

ビジネスの世界においても、一度の大勝利で勘違いする人は多いです。そして、その勝利の方程式を胸に抱いて、大きな失敗の道へ邁進していきます。もう少し小さい話でも、部長が自分が若手だったころの成功体験に縛られて後進の指導がうまくいかない、なんてお話も似たようなケースだと言えるでしょう。端的にいえば、いかに己を客観視できるか、と、具体的な自分自身の成功体験を事例すなわち概念として昇華できるか、に二つが「確度向上」の鍵です。このあたりについては「成功の再現性を上げる」と僕は表現しているのですが、ちょっと武蔵の話から離れすぎてしまうので、今回はこの辺りで留めておきますね。

そんな武蔵ですが、少なくとも「成功体験を事例化する」ステップまでは進んでいます。あとは、自己の客観視が課題と言えそうですね。

 

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