第五戦:vs 辻風黄平 (第2巻より):我武者羅になる時期を超えろ|バガボンドを勝手に読み解く

AUTHOR :  田中 耕比古

盲目的に頑張った先に「疑問」があるはずだ

この連載では、バガボンドの主人公、宮本武蔵の”戦闘”シーンを抜き出し、武蔵の成長について読み解いていきます。連載第5回の今回は、辻風黄平との一戦です。

バガボンド(2)(モーニングKC)

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初の強敵登場

前回、青木の部下&青木本人をボコって山に逃走した武蔵ですが、青木の部下+村人による山狩りから逃げ続けています。そんな中で、以前倒した辻風組棟梁の辻風典馬の弟である、辻風黄平が襲い掛かってきます。

辻風黄平は、忍びのような身のこなしで武蔵に襲い掛かります。パワータイプだった兄の典馬とは似ても似つかないのですが、その素早さで武蔵を翻弄します。クナイのようなものを投げつけ、上空から刀を構えて襲い掛かり、馬乗りになって殴りつけます。

前回同様、奇襲攻撃にさらされるわけですが、相変わらず武蔵は動じません。マウントポジションを取られている状態で、黄平が先ほど投げつけてきたクナイを拾い上げて、黄平の太腿に突き刺します。

驚いて飛びのく黄平ですが、離れ際に手裏剣を武蔵の顔をめがけて投げつけます。しかし、武蔵は反射的に腕で防ぎ致命傷を避けます。

バガボンドの中で、初めての「戦いの技巧がみえる戦い」と言えるでしょう。

実力伯仲の強敵から投げかけられる言葉

これまでにない「強敵」が、武蔵にかける言葉は、重みがあります。

お前が死のうと 誰も顧みやしない

お前がかつて殺してきた者たち同様ーー

「お前は大勢殺してきた。お前も、遅かれ早かれそうなる。」という予言ですね。おそらく、辻風黄平自身も、多くの人を殺してきたわけですが、その彼がそういう無常感のある台詞を吐くのは非常に興味深いですね。辻風典馬とは、ここでも一味違うなと感じさせます。

普通の人間なら、こんなことを言われた場合には、言葉の意味するところを理解できず「何を言っているんだ?」となるか、あるいは、内容を理解した上で「俺は死なない」と否定することになるでしょう。が、武蔵はそういう反応はしません。

この世に生まれて 十数年生きた

そして死ぬ

それだけのことだ お前も俺も

そして最後に、こう続けます。

死ね

こう述べて、渾身の一撃を木刀によって繰り出します。黄平は間一髪のところで避けますが、その頭巾(バンダナみたいなの)は切り裂かれ、出血します。本当に、間一髪だったわけですね。

避けた黄平も、避けられた武蔵も、相手の実力に心寒さを覚えているようですが、ここで邪魔が入り、二人の戦いは幕を閉じます。

目的を見失っていることを知る

今回の辻風黄平との戦いを経て、武蔵は、自らに問います。

この世に生まれて 十七年生きた

何のために?

そして、自分の中に答えが無いことに気づきます。

この先に何がある? 知るか

憎まれ 追われ 斬って斬って斬りまくって 斬り死にするんだろう

それだけだ

この武蔵の無目的な生き方は、決して褒められたものではありませんが、人生において、こういう「盲目的に前に進む時期」は必ず必要です。

良く例として挙げるのですが、世の中の、ワークライフバランス、という言葉の捉え方について僕はとても違和感があります。なぜだか、世の中の大半の人は1日あたりのワークライフバランスを重視しているように思います。しかし、1週間で考えたらどうなるでしょうか?1ヶ月なら?1年なら?あるいは、労働人生40年トータルでのワークライフバランスではどうでしょうか? 40年とまではいわなくても、ある程度長いスパンでワークライフバランスを考えると、一定期間は盲目的に走り続けることが重要だと思うのです。

運動部でも、走り込みだったり、基礎練習だったりが重要です。また、監督やコーチの指導方針が気に食わない場合も、それに従ってみることも必要です。(もちろん、常識の範囲を超えて、人間的に問題のある指導については如何なものかとは思いますが) 仕事でもなんでも、とにかくがむしゃらにやりこむことで、見えてくるものがあります。

武蔵にとっても、この時期は、暗いトンネルの中にいるようなものです(本人は、まだ明確には自覚していませんけれど)。

このトンネルを抜けるためには、まず「トンネルに入ること」が重要です。盲目的に進み、気づくとトンネルの中にいる。そこで、足掻いて、そのトンネルから出ようとする。この辛くて苦しいプロセスが重要です。楽して次のステージに進もうなんて、甘いんですよね。世の中、苦労してナンボなんですよね。

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