常にやらなくていいけど、できないとダメ
前回は、MECEのコツについて解説しました。今回は、MECEに分解するということに、どういうメリットがあり、どのように活用していくべきかについて考えていきます。
MECEだと、何が嬉しいの?
さて、MECEに分けると、いったい、何が嬉しいのでしょうか? といっても、関連記事「敢えてMECEにこだわらない」でも述べたとおり、MECEじゃないと死ぬ!みたいなことはありません。とはいえ、困りやすいシチュエーションというものはあります。ということで、MECEじゃ「ない」と、何が困るのか?ということについて考えていきたいと思います。
CEじゃない(=モレてる)と困ること
順番的には前後してしまいますが、まずはCE(Collectively Exhaustive)=完全な全体集合ではない状態、すなわち「モレている」と何が困るのかを考えてみましょう。
「全体」を定義できない
まず、モレがあるという状況になるのは「全体を定義できていない」というケースが多いです。そもそも「モレてるかどうかわからない」ので、結果的にモレている、という状態ですね。
前回も少し触れましたが、「車」「バイク」「自転車」・・・ と例を挙げていくときに、最初に「タイヤのついている乗り物」と定義するのか、「モノおよび人を運搬することができる機械」と定義するのか、あるいは「公道を走行できるもの」と定義するのかで、「飛行機」「電車」「馬」などを含むかどうかが変わってしまいます。
モレている、ということは(もちろん、ニワトリとタマゴの関係ではありますけれど)、個別事象を積み上げて、全体をつくりあげようという本末転倒な思想になっているおそれがあります。
ゴールが定義できない
また、全体を定義できない(あるいは、定義していない)ということは、どこまでやったら終了か、という「終わりの定義」「ゴールの設定」ができないことを意味します。関連記事「生産性向上のために”地図”を描こう」でも述べたように、思考や議論の到達すべきところを予め決めておかないと、議論が永遠に終わりません。
モレがある状態で議論を進めていくと、一通り議論をし尽くしたときに「あれ、そういえば、10代の女性については考えなくてよかったんだっけ?」とか「売上が伸びている商品と、落ちている商品については議論しつくしたけど、前年比で横ばいの商品は何も考えなくてよかったんだっけ?」などというお話がでてきてしまいます。
しかも、ありがちなのが「うちの商品売上の8割は、横ばいなんだから、残り2割の売上増商品と売上減商品についての議論なんかより、8割の横ばい商品を5%売上増に導く打ち手を考えないとダメだろ」というような必殺!ちゃぶ台返し!!を喰らわされることにもなりかねません。
議論をスタートするタイミングで、モレていない、ということを全員の共通認識としてから話を進める方が安全ですし、健全です。
見落としが発生する
上述したように、最後に気づいてちゃぶ台返しをされるのは、正直、イヤなんですけれど、それでも「最後まで気付かないまま走り切る」ことと比べると、まだまだマシかもしれません。マラソンでいうと、1位でゴールして表彰されてから「あ、途中のコースを間違えてたから失格ね」とメダルはく奪みたいな感じです。これは最悪です。
モレている、ということは、このリスクを常にはらみます。
例えば、バーベキューをやるときに「事前に準備するモノ」「当日準備するモノ」と分けたとします。それぞれ「飲食物」「機材」と分けた上で、それぞれについて準備すべきものを洗い出していくことになります。このやり方で、普通はモレなく手配できるのですが、稀に「事前に手配して、当日受け取るモノ」を受け取り損ねたりするんですよ、これが。具体的に言うと、よく冷えたビールを当日配送で手配したんだけど、受け取り場所として自宅を指定したせいで、受け取ってから移動したのでは当日手配の買い出しが間に合わない、とかって感じです。
この場合、「準備する」という行動での分解では不十分で、「入手する」という行動のタイミングでCEに(モレなく)砕いていくべきなんですね。モレが存在してしまった場合、ギリギリになってからリスクが顕在化し、やりたい結果が得られないということが起こりえます。
(※BBQの例は、モレがないかどうかという話だけではありませんが、”手法論”というよりは”実務的テクニック”として覚えておいていただければと思います。)
MEじゃない(=ダブってる)と困ること
続いて、ME(Mutually Exclusive)=相互に排他的を満たさない状態、すなわち「ダブってる」と何が困るのでしょう。
二律背反に陥る
例えば、その事象が所属するふたつの分類に対して、真逆の施策・打ち手を設定した場合に、判断に困ります。
- 若い男性はターゲットではないのでDMを送らない
- 年に10万円以上購入してくれた人にはDMを送る
この場合、年に10万円以上購入してくれた若い男性には、DMを送るべきなのでしょうか?送らないべきなのでしょうか?
もっと身近な例でいえば、
- ジャガイモはお弁当に入れない
- 揚げ物を必ず1品はお弁当に入れる
とした場合、コロッケ(ジャガイモ料理 且つ 揚げ物)は、おかずローテーションに組み込んでよいのでしょうか?組み込んではいけないのでしょうか?
どちらに組み入れたらよいのか分からない
上記の二律背反の問題と裏表の関係にありますが、そもそも「その事象・モノは、どちらに組み入れて捉えるべきか」が決まりません。
例えば、あるスーパーでハーゲンダッツが「高級洋菓子」と「アイスクリーム」の両方のカテゴリに分離されていたとします。
- 「高級洋菓子」カテゴリの売上は低迷している
- 「アイスクリーム」カテゴリの売上は横ばい
- ハーゲンダッツの売上は順調に伸びている
さて、この状態で、あなたは何を考えれば良いですか?
ハーゲンダッツ=高級洋菓子とみれば、高級洋菓子はハーゲンダッツを除くと惨憺たる有様なのだろう。ハーゲンダッツ=アイスクリームとみれば、アイスクリームはハーゲンダッツを除くと下がっているのだろう。などということは分かりますが、それって「カテゴリの実態を正確に表している」のでしょうか。
一つの事象(この場合は、ハーゲンダッツというモノ)を、複数の属性に組み入れると、その属性そのものの意味合いがブレてきます。いきなりハーゲンダッツから分析を始めることはレアです。通常は「高級洋菓子」はどうか?「アイスクリーム」はどうか?という、上位概念(ここでいうとカテゴリ)から考え始めます。その際、メッセージを左右しかねない要素が複数カテゴリに属しているのは好ましくないと言えます。(もちろん、「高価格品」と「アイスクリーム」というような”全く別の軸に属する属性”として設定し、クロスで見てもMECEが担保されるのであれば、いくらでも属性設定をしてください、というところではあります)
もっと身近な例でいえば、
- うちの子はアイスが嫌い
- イチゴ系のお菓子も食べない
- ただ、ハーゲンダッツのストロベリーは大好物
という状況って、何を言ってますか?ってことです。
で、何のために使うんだっけ?
以上、MECEじゃないと困る理由を幾つか挙げてきました。しかし、皆さん思いますよね。「別にいいじゃん」って。そうなんですよ。別にいいんです。なので「敢えてMECEにこだわらない」という記事も書いたりしてます。
ただし、「MECEを、常に実現しないと困るか?」といわれると「いえいえ、全然困りませんよね」というのが答えであるものの、「MECEに分解できないと困るか?」といわれると「ええ、めっちゃ困りますよ」というのが答えです。
どういうことかと言いますと、「ブラインドタッチが出来なくて困るか?」と言われる感じです。大半の方の日常生活においては全く困らないと思いますけど、ホワイトカラーとして仕事するうえではできないと話にならないと思うんですよね。
あるいは「料理ができないと困るか?」とかでも良いです。現代社会において、コンビニと冷蔵庫と電子レンジ、デリバリーや外食産業が24時間体制であなたをサポートしてくれるわけですから、料理が出来なくても困りません。が、結婚したり、ちょっと田舎に引っ越したり、海外駐在が決まったりしたら、料理ができないということは耐え難く不便なことのように感じるでしょう。
知的産業従事者は、少なくとも「MECEに分解できるというスキル」は身につけておくべきです。
「共通認識の醸成」に最適
では、具体的にどういう時に役立つのでしょうか。僕は、MECEが最も効くのは「共通認識を作り上げる」ところだと思っています。
ケース1:みんなで議論しているとき
- 複数の人が好き勝手に話している様々なことを、綺麗に分類することができる
- その分類から外れた話題がでてきた場合に、「それをスコープに入れる=範囲を広げる」のか、「範囲を是として、その話題を議論から外す」のか、を明確化できる
- 議論において「モレていること」を明確化して、その部分について、議論すべきことは無いか、を検知できる
ケース2:議論の経緯を知らない人に説明するとき
- 議論の過程を知らない人に「全体感」を伝えられる
- その中で、重点的に説明したい部分を、全体の中から”ピックアップ”して伝えられる
- 説明を受ける側が「気になる部分」があった場合に、それを、全体の中のどの部分であるかが互いに認識できる
MECEというのは、所詮は「考え方のツール」に過ぎません。MECEに分解していくこと自体が目的なのではなく、それによって、相互理解を深め、意思決定をしていくことが大切なのです。是非「便利なツール」として、自在に使えるようになりましょう。