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ユキチ・イン・ワンダーランドな名作
本日は、慶應幼稚舎の入試において親御さんの課題図書になるということで有名な一冊、慶應義塾創始者 福沢諭吉の半生をつづった「福翁自伝」を読み解きます。(ちなみに、慶應幼稚舎って「小学校」なんですね。僕、最近まで「幼稚園」だと思ってましたよ。ええ。)
前提:入塾のために読む、なんてヨコシマな気持ちで読んだら勿体ない。
「福翁自伝」と、グーグル先生に打ち込むと、検索候補には「福翁自伝 慶應」「福翁自伝 幼稚舎」という関連キーワードが表示されます。
で、「福翁自伝 慶應」を選ぶと、「慶応幼稚舎 願書 書き方は「福翁自伝」を読み込むこと」とか「慶應幼稚舎・横浜初等部願書の書き方:福澤諭吉「福翁自伝 …」とか「福翁自伝についての記述 – 今年から慶應義塾に入るに当たり …」という入塾対策の記事ばかり表示されます。
しかし、この本は、なかなかの良書です。そんな気持ちで読んでると本質を見誤ります。そもそも、400ページもあり、文庫の癖に1,020円+税という良い値段のするこの本を、「子供を学校に入れる為だけに読む」というのも、費用対効果の悪い話です。
折角なので、稀代の天才ともいうべき福沢諭吉の生き方・考え方を、自分の血肉に変えてやろう、くらいの気概で取り組むべきだと僕は思います。
幕末ってやベぇぞ、諭吉ってパネぇぞ、を知る【要約】
本書の本質は、幕末やべぇ。ってことです。そして、諭吉パネぇ。ってことです。この2点に尽きます。慶應幼稚舎の願書に「幕末やべぇ、諭吉パネぇ。」と、フォント40くらいで書いてだしたらいい*と思うくらい、この2点に尽きます。どれくらいヤバくて、パネぇのか?僕が気になったポイントを挙げさせていただきますね。お時間のない方は、まずはこれで全体感を掴んでください。
幕末やベぇ
- 簡単に人が死ぬ。暗殺とか普通。
- 外国人は野蛮人という風潮。闇討ちしたりされたりも日常茶飯事
- なんなら、諭吉も「いつ逆賊認定されて殺されるかと思ったわー」とか言ってる
- 洋学者暗殺ブームがひと段落した後は、政治家の暗殺ブーム到来
- 封建社会だから、身分とか厳格。下っ端出身の諭吉とかどう考えても立身出世無理
- 反対に、馬鹿でも何でも”家柄”が良ければ勝ち組
- 蘭学とか「凄い」のは分かるが、「何が凄いのか」は全部手探り。知識は個人に集積される。
- 洋書は超貴重。コピーとか写メとかないから、写本。とにかく写本。
- 政権が変わることにより、国が向かう方向が大きく変わる。多くの人は、ただ、流されてしまう
諭吉パねぇ
- 早くに父親を無くすが、めちゃめちゃ厳格に育てられた
- すげぇ賢い。朝に素読したら、午後には、さっき教えてもらった先輩に議論で勝っちゃう
- 「人の読むものなら、横文字でもなんとかなるだろ」といってオランダ語も英語も学びきる
- でも、誰かが教えてくれるわけじゃないから、とにかく自分で学びきる
- 封建制度はクソだ。馬鹿の下働きをしても未来が無いと見切って、大阪とか江戸を目指す
- 先輩とかも曲がったことやったら許さない。上司とかでも関係ない。反対に、部下や目下には丁寧であろうとする。
- 旗本になっても、別に気にしない。偉いとか思わない
- 基本、行き当たりばったり。機転と気合で押し切ってしまう。行動力高い
- アメリカいきてー って思ったら、知り合いづてで咸臨丸に乗れるようにお願いして、アメリカ行っちゃう
- アメリカから帰ってきたら、今度はヨーロッパ行っちゃう
- ヨーロッパから帰ってきたら、またアメリカ。
- 趣味に金使わない。っていうか、趣味が無い。海外行って、有り金全部で洋書買っちゃう
- 血が怖いから、解剖とか無理。近づかない。得意なことに注力する
- 神とか仏とか信じない。論理を信じる
- 幕府とか気にしない。鎖国とかどうでもいい。合理的じゃないと理解不能
いや、ほんとすごいっス。幕末というヤバい時代を、現代でもあり得ないくらいぶっ飛んでる諭吉の目を通してみると、もう、ユキチ・イン・ワンダーランド状態です。ありえねー。まぢありえねー。
また、その一方で、現代に諭吉がいたらどんな人になるのだろうか、とも思いますね。情報は氾濫している。行きたいところは、どこでも行ける。学問は体系化されている。諭吉のように、自分で知識を獲得し、体系だててまとめきる能力のある人が、これだけの選択肢がある状況になったとき、彼は何を成し遂げるのでしょうか。
あるいは、反対に、僕が幕末に下士の家柄に生まれ育って、どれだけのことが成し遂げられただろうか、ということにも思いを馳せたくなります。この感覚は、孫正義さんが「坂本龍馬が好き」というのと、少し近いかもしれませんね。孫さんを好きな人が読んでも、福翁自伝から得られるものは非常に多い気がします。
余談:本文中の(*)について
とはいえ、願書に書かれているという「お子様を育てるにあたって「福翁自伝」を読んで感じるところをお書き下さい」の「お子様を育てるにあたって」部分が足りないので、もうちょっと蛇足をつけて「幕末やべぇ、諭吉パネぇ。うちの子供が諭吉みたいに破天荒に育ったらぶっちゃけドン引きしそうだけど、僕のちっぽけな世界観・過去の経験によって固定化した価値観に縛りつけて小さくまとまってもらうくらいなら、自由に生きてもらえればええんちゃうかなとガチで思ったわー。ってなわけで、福沢先生の思想を受け継ぎ子供の自立性・個性を尊重する貴塾に通わせることで、いかなる時代の流れにも屈せず、己の判断を信じ、自らの生き方を貫く独立した人格が育まれることが、子供のために最上の選択であると感じます。その一方で、家庭においては厳しい規範を理解させ、曲がったことを許さないという道徳観念を育むことに注力し、物事を選択する際に”人として正しいものは何か”を見誤らないような人間性を育てるように腐心したいと考えています。家庭において基本となる”道徳観”・”規律を重んじる人間性”を育む一方で、貴塾において”自ら学び自ら選び取る姿勢”・”形式にとらわれず本質に拘る態度”を育んでいただくことができれば、どのような困難であっても、立ち向かい、乗り越えることができる人間となることができるように思います。」的なことを書いとけばいいと思いますよ。(適当)
尋常ならざる男、諭吉
それにしても、諭吉翁とその仲間は、本当に、良く学び、よく遊ぶ、男たちです。
ただ、遊ぶと行っても、劇を見に行くとか芸者遊びをするとか、そういうのは殆どありません。街中で”喧嘩の真似ごと”をしてみたり、火事場に飛び込んでみたり、茶屋で飲むたびに茶碗やら小皿やらを盗んで来たり、その小皿を川を行く船に向かって投げてみたり、アンモニアや硫酸を生成してみたり、遊女の手紙を偽造して仲間を騙して酒をおごらせたり、友達に鯛の味噌漬けと偽って河豚の味噌漬けを食わせたり、という、なんだかぶっ飛んだ遊びばかりです。
で、遊んでばかりいるかというと、死ぬほど勉強している。
兎に角に当時緒方の書生は、十中の七、八、目的なしに苦学したものであるが、その目的のなかったのが却って仕合(しあわせ)で、江戸の書生よりも能く勉強が出来たのであろう。ソレカラ考えてみると、今日の書生にしてもあまり学問を勉強すると同時に始終我身の行く先ばかり考えているようでは、修行はできなかろうと思う。さればといって、ただ迂闊に本ばかり見ているのは最も宜しくない。
目的なしに苦学した、とありますが、これが本当に凄い。
何のために苦学するかといえば一寸(ちょい)と説明はない。(中略)名を求める気もない。名を求めぬどころか、蘭学書生といえば世間に悪く言われるばかりで、既に巳に焼けに成っている。ただ昼夜苦しんで六かしい(むつかしい)原書を読んで面白がっているようなもので、実に訳けのわからぬ身の有様とは申しながら、一歩を進めて当時の書生の心の底を叩いてみれば、おのずから楽しみがある。(中略)一見看る影もない貧書生でありながら、知力思想の活発交渉成ることは王侯貴人も眼下に見下すという気位で、ただ六かし(むつかし)ければ面白い、苦中有楽、苦則楽という境遇であったと思われる。たとえばこの薬は何に利くか知らぬけれども、自分たちより他にこんな苦い薬を能く呑む者はなかろうという見識で、病の在るところも問わずに、ただ苦ければもっと呑んでやるというくらいの血気であったに違いはない。
とりたてて理由はないが、自分たち以外にこんな大変なことを進んでやる奴はいないからこそ、俺たちは進んでやるのだ!という、そこに山があるから登るという凡百な例えを大きく超越した、凡人には理解不能な使命感を感じます。
天賦の才と、努力の才
諭吉翁は、高い能力がそもそもあります。これは天賦の才というしかないです。そこに、幼少期からの厳しい家庭での教育において、規律を重んじる姿勢・道徳観を育んだわけです。その上で形式には意味がなく本質にこだわる、という考え方がアドオンされているというのが、先天+後天的な人格構造だと僕は思います。
そうして獲得した高尚な倫理観・道徳観が諭吉翁をひとかどの人物たらしめます。カラ威張りする役人は大嫌い。一夫多妻もよしとせず、家の内外に妾を囲うは多妻の罪と断じきる。自分に有利な形で契約内容を”後付け”で変更しようと先方から申し出があっても、契約は契約と割り切って当初の(自分に不利な)契約内容で商談成立とするべしという熱い信念に基づいて行動する。そういう行動規範が幼少期からの教育で出来上がっているわけですね。(※とはいえ、完璧な聖人君子と言うわけではないところも、人間らしくて良いと思います)
普通の人は、天賦の才(朝に学んだ漢文解釈を、午後には教師よりもできる上手くする、など)があると、他人を見下したり、己だけは例外的な存在だという思想になりがちです。そうならないのは、幼少期からの家庭教育のたまものだと言えるでしょう。
一方で、人格形成の妨げになりかねないくらいの凄まじい「天賦の才」に加えて、諭吉翁には「努力の才」も備わっていました。これが、先天的なモノなのか、後天的なモノなのかは判断しがたいところですが、どんな難しい洋書でも「ただひたすらに翻訳し続ける姿勢」とか「英語の分からない部分を理解するために、長崎から来た子供、海外を長く漂流していたもののもとを訪れて発音を学ぶ」とかいうのは努力の才と呼ぶべきです。
この2つの才と、幼少期の徹底的な躾・教育が、福沢諭吉を尋常ならざる人物としているのでしょう。
現代は、幕末よりも戦いやすい時代じゃない?
現代には、幕末のような変な制約はありません。もちろん、情報量などが底上げされてしまっているので、競争は大変なわけですけども。ちなみに、競争、という言葉も、諭吉翁が作った訳語だったりします。
コンペチションという言語に出遭い、色々考えた末、競争という訳語を作り出してこれに当てはめ、前後二十条ばかりの目録を翻訳してこれを見せたところが、その人がこれを見て頻りに感心していたようだが「イヤここに争(あらそい)という字がある、ドウもこれが穏やかでない、ドンナことであるか」「どんなことって、これは何も珍しいことはない、日本の商人のしている通り、隣で物を安く売ると言えば此方の店ではソレよりも安くしよう、また甲の商品が品物を宜くすると言えば、乙はソレよりも一層宜くして客を呼ぼうとこういうので、またある金貸が利息を下げれば、隣の金貸も割合を安くして店の繁盛を謀るというようなことで、互いに競い争うて、ソレでもってちゃんと物価も決まれば金利も決まる、これを名付けて競争というのでござる」
尚、この説明を聞いた当時の官吏は、「互いに譲り合う」というような文章を求めていたようなので、諭吉翁は、全部まとめてバッサリ黒塗りにしてしまいます。このあたりもロックですね。ロックンロール。いえー。
そんな風な思想的な制約も、現代では極めて少ないです。幕末に比べれば、ほぼ無いと言ってよいと思います。こんな恵まれた環境下で、なにをするかは完全なる自由です。選択の幅が非常に多い。つまり現代は、個人の力というものを存分に発揮するチャンスがあるということですよね。
「自分の力」で勝負する。今であれば当たり前のこの思想を、激動の幕末期に貫いた諭吉翁は、本当に半端ない(=マヂパねぇ)のですが、この思想を受け継いで生きると誓うならば、制約が少なく選択肢の多い現代において、僕たちはどれだけのことを成し遂げられるだろうか、と考えさせられます。
子供を慶應に入れたくなったぞ!
ここまで紹介してきた内容からわかる通り、慶應義塾の祖、福沢諭吉は生まれながらのエリートじゃないわけです。しかし、生まれ持った才は類稀なるものであった。問題は、その天賦の才を如何に発揮するかなんですよね。僕は関西学院大学出身で、子供が生まれたら、できれば同窓に入ってほしいと思っていたのですが、ちょっと意識が変わりました。慶應、いいかもしんない・・・。って、まだ子供いないんですけどね。(笑
慶應義塾の成り立ち
塾が始まって当初の教員は、他所であればもっと稼げるメンバーが、志のために慶應義塾で働いていました。つまり、外で得られるはずの給与を得ずに、安い給与で働くということは、その差額は「私費を投じている」と言える、と諭吉翁は述べています。そして、慶應義塾が成立しえたのは、そういう教員の尽力によるところが大きいわけです。
慶應義塾の成り立ちは、教師の人々がこの塾を自分のものと思うて勉強したからのことです。決して私一人の力に叶うことではない。
大学の価値は、卒業生を雇う”企業”側からみたらどうなのかはさて置いて、そこに通おうとする学生の立場から見れば、偏差値で図るモノではないと思うんですよ。大事なのは校風だと思います。もちろん、偏差値が高い大学の方が、一定の足切りが為されるということで、比較的優秀な人が揃いやすい(つまり、ボラティリティが少ない)という傾向はありますから、低いよりは高い方がいいんじゃない?とは思いますけれど、一定レベルを超えたらもはや校風の方が重要だと思います。
大学でさえも校風に価値があると思うわけですから、いわんや初等教育においては、より一層「校風」を重視すべきでしょう。ということで、本書を読んで、慶応幼稚舎が、非常に魅力的な初等教育の場に見えてきました。そりゃ、課題図書にするわけだよ。
そんなわけなので、もし、僕が子供を”お受験”させようとするならば、きっと「福沢諭吉先生の”金には無頓着である”というのは塾の経営においても踏襲されているのか?」であるとか「私費を投じると同じくらいに、他校でより稼げるにもかかわらず、慶応義塾で教鞭を取ることを選ぶような先生方が多いのか?」であるとかいったこと(つまり、”校風”の実態に関して)、ガンガン質問してしまうのだろうなと思います。そんな父兄は許容してくれないような懐が狭い学校だったら、まぁ、しょうがないっすよね。(笑
おまけ:僭越ながら、ちょっと近いものを感じたんですよ
余談ながら、僕が子供を慶応に入れたいかも、と思った理由がもう一つありますので、そちらをご紹介して、本書評の終わりとしたいと思います。非常に僭越ながら、自分の子供時代と諭吉翁の子供時代に、なんとなく同じ匂いを感じたところがあったんですよね。
中津にいたとき子供の時分から成年に至るまで、何としても同藩の人と打ち解けて真実に交わることができない、本当の朋友になって共々に心事を語るいわゆる莫逆の友というような人は一人もない、世間にないのみならず親類中にもない、と言って私が偏屈者で人と交際が出来ないというではない。ソリャ男子に接しても夫人に逢うても快く話をして、ドチラかといえばお饒舌りの方であったが、本当を言うと表面(うわむき)ばかりで、実はこの人の真似をしてみたい、あの人のように成りたいとも思わず、人に褒められて嬉しくもなく、悪く言われて怖くもなく、すべて無頓着で、悪く評すれば人を馬鹿にしていたようなもので、仮初にも争う気が無いその証拠には、同年配の子供と喧嘩をしたことが無い。喧嘩をしなければ怪我もしない。友達と喧嘩をして泣いて家に帰って阿母さん(おっかさん)に言告ける(いいつける)と言うようなことはただの一度もない。口さきばかり達者で内実は無難無事な子でした。
さすがに、そこまで達観してたとは思いませんが、まぁ、近しいものは感じます。田舎にいた頃は、結局、誰かと分かりあえた気がしないんですよね。そういう意味で、都会で子供を育てるということは良い側面もあるだろうなと思ったり、だからこそ面倒な一面があるから、いわゆる名門私立に子供を入れる意味があるのかもしれないんだろうなと思ったりもするわけです。
ってなこと言ってますけど、子供の前に、僕自身が、どれだけ成長できるかだなーと深く考えさせられる良書でした。未読の方は、慶応に子供を入れるために云々という邪な動機は一度忘れて、是非、一読することをお勧めします。