誰かに頼まれなくても、勝手に考えてみない?
本日は、やや番外編っぽくなりますが、最近気づいた僕の「病気」について語ってみたいと思います。連載タイトルにある「”考え方”を考える」とか言ってる時点で、相当”アレ”な感じがしてると思うんですが、そのあたりについてのお話です。
シンカホリック=思考が止まらない病気です
世の中に、ワーカホリック(workaholic)という言葉があります。日本が高度経済成長を遂げる中、「日本人は、エコノミックアニマルだ」とか言われてたと思うのですが、それと似た用語ですよね。ワーカホリック、すなわち「仕事中毒」。
僕も、働きすぎて、ちょっと軽く胃に穴的なものをあけてみたりしたこともありますし、土日だろうと深夜だろうと必要ならば働くことを厭わない人種です。ですので、いわゆる「ワーカホリック」に属すると思われることも多く、自分自身も、なんとなく「まぁ、そうなのかもしれないなー」と思っていたりもしたんですよ。最近まで。でも、先日、それは間違っていることに気づきました。
僕は、仕事中毒=ワーカホリック(workaholic)ではなく、思考中毒=シンカホリック(thinkaholic)と呼ぶべき状態なんじゃないかな、って思ったんですよ。
考えることが大好きなんです
一般に、仕事中毒というのは、仕事が大好き、という意味で使われます。もちろんネガティブな意味合いもありますが、多少のポジティブさや畏敬の念を含む場合も多いと思います。(俺にはできないわー、的な意味が込められがちですよね)
僕は、仕事は嫌いじゃないです。長時間労働が好きなわけではないんですが、労働時間が長いかどうかはあまり気にしません。しかし、コンビニの接客や、警備員としての仕事をずーっと何時間もやっていられるか?と問われると、正直無理だろうなとも思うわけです。そりゃ、肉体労働だから体がついていかないよね、という側面もあるのでしょうけれど、本質はそこではないなと思うわけです。一言でいえば、「仕事が好きなんじゃなくて、考えることが好きなだけ」だと気づいたんですね。
考えることが好き、というのはどういうことか。具体的な例を挙げれば、街を歩いて目に入ったものすべてに対して、「何か面白い解釈ができないか」だったり、「仕事に繋がる・活かせる側面が無いか」だったり、「仮に僕がこのビジネスを運営してたら、どう改善しようか」だったり、「この問題の真因は何だ」だったり、「これってなにかと似てるが、それは何だ」だったり、「その似てるものとの差はなんだ」だったり、「似てる部分=共通部分を概念化したら何と表現すべきだろうか」だったりを、無限に考え続けるわけです。
そして、その思いつきから何らかの仮説を組み立てて、その仮説の検証には何が必要なのかを見定めて、論点を整理するところまで突き進んじゃうんですね。(検証作業をしないことも多いですが、検証可能な状態までは持ち込む、って感じです)
これは別に、街を歩いているときに限らず、誰かと話していても、Facebookのタイムラインを眺めていても、本を読んでいても、映画を見ていても、常に「この物事の本質は何だ?」「課題は無いか?」「課題はどうすれば解決できるか?その具体的なプロセスは何か?何から手を付ければよいか?」などを考えてるんです。
ええ、病気ですね。病気。
ただ、だからこそ、僕は「今の会社での仕事」を楽しめているのかもしれません。なぜなら、弊社での僕の仕事はすべて「考える事」だからです。考えてれば、それがお金になるわけですから、こんなにハッピーなことはありません。しかも、考えることが、クライアントや社員の幸福にもつながるんですから、言うことなしです。
さて、何と呼ぼうか?
と、いうことで、この病気?症状に名前を付けようと思いました。
シンカホリック、thinkaholicでググってみても、あんまりそれっぽい検索結果が返ってきません。まぁ、造語なので、用法そのものがまだ存在してないってことですね。
- 「シンカホリック」Google検索結果 ←もしかして、シンガホリック? とか聞かれてます(注:2015年8月4日 早朝時点の検索結果に対するコメントです)
- 「thinkaholic」Google検索結果 ←香港のCo-workingスペースがヒットしましたが、それくらいですね。(注:2015年8月4日 早朝時点の検索結果に対するコメントです)
一方、思考中毒 とググってみると、多少ネガティブな意味合いを含んでいる用法が目立ちます。
- 「思考中毒」Google検索結果 ←あまり参考になるものはありませんでしたが「ネガティブな思考が頭から離れない、考えすぎる」という精神的に追い込まれた状態を表現する言葉として使われているようです。(注:2015年8月4日 早朝時点の検索結果に対するコメントです)
ということで、既にネガティブな用法のが存在する「思考中毒」ではなく、フラットな状態の「シンカホリック/Thinkaholic」と呼ぶことにします!はじめまして、シンカホリックです。みんな、どうぞよろしく!仲良くしてネッ!
なぜ、シンカホリックはそんなに考えるのだろう
シンカホリックという言葉を作ってみたところ、僕の周りにはシンカホリックが掃いて捨てるほどいることに気づきます。
ひとたび言葉を定義すれば、その新たな枠組みで囲われた領域がその言葉の定義内に含まれてしまうから、という当たり前の側面もある一方で、やっぱり類は友を呼ぶんだよね、という話でもあるわけですが。いやはや。
シンカホリックの特徴
シンカホリックの特徴を挙げてみましょう。(やや、思い付きベースですが)
- 考えることが、とにかく好き
- 目の前にある物事と、一見関係ない別の物を結び付けることに喜びを覚える
- 「人間(発言者)」と「考え」を切り離した存在として捉える
- 興味のない人から見ると、つまらない言葉遊びに過ぎない部分に、執着する
- 事前に準備した”答え”に落とし込むよりも、その場で考えて”答え”にたどり着くことの方を好む
- 優れた発想や思い付きは、偶然生まれるのではなく、過去の積み上げにより必然的に生まれたと信じる
- 他人との会話は、他人を”触媒”として自分の思考を高めるために役立つと思っている
そんな感じですね。
尚、これらの思考回路は、シンカホリック以外には理解されません。特に、3つ目に挙げた、発言者と考えを別個の存在として捉える、というところが非常に難しいですね。人格否定だと思われがちです。それなりに気を付けてるんですけど、まぁ、誤解されがちですよね。そこまでヤな奴じゃないはずなんだけどなー(棒)
思考が”飛躍する”瞬間が、気持ちいい
そんなシンカホリックですが、「なぜ、そんなに考えるの?」と問われると、答えに窮します。「なぜ、そんな風に考えるの?」だと、まだ答えやすいのですが、考え方の話ではなく、考える”理由”をについては「だって、考えるの好きだから」くらいしか答えようがないんですよね。
しかし、自分自身が”シンカホリック”という特殊な存在であると定義すれば、その”病気の根幹”を捉えやすくなります。
一言でいえば、思考が”飛躍する”瞬間が気持ちいいんですね。何かが目に入る、何かが耳に入る、その瞬間にそれをインプットにして、自分自身の思考を洗練させ、より高みに近づけていくのが非常に楽しいんですよ。いや、ほんとに。
何をインプットにして、どんなことを考えているのか、以下に、幾つかの例を挙げてみます。気になったものはリンクをクリックしていただければ、僕の考えた内容とその道筋をご理解いただけると思いますので、ご参考にどうぞ。
あらゆるところに、題材があると知ろう
漫画を読んでも、考える
たとえば、漫画を読もうとすると、こんな感じになります。スラムダンクの湘北 対 豊玉戦を読むと「ビジネスもスポーツも”初心に帰る”ことが大事」だと思います。北斗の拳 イチゴ味を読むと「笑いも仕事も、基本が大事だ」と思います。七つの大罪を読むと、その読み易さの理由を分解し「伝えたいメッセージを、シンプルに伝えるテクニック」を整理します。ワンピースと攻殻機動隊を読めば、組織の在り方に関して思考を巡らせます。手塚治虫の火の鳥に至っては、いろいろと考えすぎて1年以上かけて13回もの長きにわたる連載形式で読み解いてしまう有様です。
ニュースを読んでも、考える
あるいは、ニュース記事を読むと、こんな感じです。SONYがGoProと比較されている記事をみると「どんなビジネスでも、目的を定めないとブレブレになるよね」と思います。Suicaペンギンのラッピングタクシーが街を走るという記事をみると「外側のラッピングに限らず、タクシー内に設置できるチラシなどを含んだ広告メディアとしてのタクシーの価値」に思いを馳せます。給湯器メーカー”リンナイ”の直販サイトの記事を読むと、「B2B2C企業が、B2Cマーケットに漕ぎ出す困難性と、その限界」について考えます。
新しいものに触れても、考える
そのほかにも、何か新しい経験をしたら、即座にその本質を考えてしまいます。Googleの提供するMMMMORPG「Ingress」をプレイすると「Googleは、そのデータを用いてどんなことに手を出せるだろうか」と考えます。そのIngressに「Translator」というメダル(ゲーム内の報償)が追加されたとなると「それによって獲得されるデータにどんな違いが出てきて、それをどう活用したら面白いか」と考えてしまいます。 Elloという新しいSNSが立ち上がったと聞くと「SNSの歴史および、そのマネタイズのタイミングとやり方」を整理してしまいます。 Amazonでアパレル購入に際してサイズレビュー機能が追加されているのを知ると「主観が入らないアンケート設計の重要性」を突き詰めたくなります。あるいはAmazonクレジットカードが発表されると即座に加入して「Amazonらしさ=その強みの本質は、尋常ならざるまでにペインポイントを排除した購買プロセスの設計にある」と見極めます。目黒のさんま祭りに行くと「無料さんまを得るために並ぶ時間と、そこで得られるリターンの計算方法」について考えます。セブンイレブンのドーナツが販売されたと聞くと「経験曲線が鍵だ」と考えて検証し始めます。
いかがでしょうか。日常生活のありとあらゆるものが、「面白いインプット」に成り得るということをご理解いただけたのではないでしょうか。新しいレストランに行ったら?普段乗らない電車に乗ったら?コンビニで新しいオニギリがあるのを見かけたら?新しいペットボトル飲料を見たら?パッケージが変わっていたら?それをインプットにして、何でも考えられます。
関連記事:抽象化と概念化を間違えない
思考は、日々の訓練によって磨かれる
あの有名な大前研一さんが、こんなことを言っています。
いちばんいいのは電車に乗っているとき、あるいはテレビを見ているときだ。電車に乗ったら、中吊り広告を一五ぐらい見つけて、「自分がこの会社(例えば結婚式場)の営業部長だったら、あんな広告はするだろうか」、あるいはこのポスターの商品の会社の広告部長であれば、「もう少し違ったコピーを書くのではないか」とそういうように、誰を対象に何を訴求するのか考えてみるのである。次の駅まで五分だったら、そのあいだにパッパッといくつか案を考えてみる。一週間も続けていると目に入るのは同じ広告になってしまうから、車両を移してやってみる。あるいは車窓から見える看板を対象にやってもよい。これを三カ月も続けると、頭の中が無精ではなくなってくる。
完全に、シンカホリックですね。(笑)
しかし、この積み重ねが、思考の深さと速さを作り上げるのです。
誰かに頼まれたから考えるのではなく、自分自身の意思で、積極的に考えてみませんか?考えることができる人間は、仕事において、とても重宝されます。(関連記事:正解の探し方のコツ:当てに行くな。考え抜いて振り抜け。)
Let’s be a THINKAHOLIC !!!