人口が減り続けるというのは「既に起きた未来」である
地方自治体の衰退が問題になっています。日本創成会議(増田元岩手県知事を座長とする有識者会議)が昨年、2014年に発表した推定結果では、2040年は896の自治体、日本にある1800の自治体の約半分が消滅可能性があるとされています。これは2010から30年間で20代、30代の女性が現在の半分以下になる自治体を「消滅可能性都市」に分類したものです。
本当に消滅してしまうかどうかは別として、若い女性の数が大幅に減れば坂道を転がるように人口が減少し、最後は消滅の危機に瀕するというのは妄想とも言えないでしょう。それでなくも日本の人口は2010頃をピークに毎年減少を続け、2050頃には1億人を割ると推定されています。それに、人口推移の推計は比較的よく当たります。大規模な移民政策を取らない限り、20年後に成人を迎える男女の数は現在0歳児とほとんど同じになるはずです。将来の人口動態はドラッカーの言うように「既に起きた未来」なのです。
地方自治体にとって人口減少は深刻な問題と考えられています。税収が減るたけでなく、人口が一定数を割ると様々なサービスを維持することができなくなり、居住すること自体が難しくなってしまうからです。ガソリンスタンドが売り上げ低下で閉鎖され、隣町までガソリンを入れに長いドライブをしなければならなくようなことは今や珍しい話ではありません。
生活が不便になるだけではありません。人口の半分以上が65歳以上の高齢者となった「限界集落」では冠婚葬祭のような社会共同体の維持が困難になると言われています。過疎と高齢化が同時並行で進行するために、集落が本当に消滅してしまいそうになっているのです。
過疎化と高齢化が同時に進むのは、少子高齢化により若者が少なくなるだけでなく、少ない若者が集落から離れて行っているからです。日本全体でみると高齢化が進み人口が緩やかに減少し続ける中で、都会に若者が集まり、村落は高齢者ばかり残されるということになります。東京への一極集中と地方の衰退が現代日本の姿だということへの危惧が、先ほどの「消滅可能性都市」の調査の背景にあるのでしょう。
地方自治体も手をこまねいているわけではありません。新たに移住してきた住民に、住居を安く提供する、子育ての援助金を出す、新規事業に有利な融資を提供するなどの支援策は多数の自治体が行っています。とにかく人口減少を食い止めたいというのが、支援策を行う自治体の思いです。
地方が努力をしているのに対し国は何をしているのでしょうか。決して無策ではありません。むしろ国家予算の非常に大きな部分は地方振興に費やされると言っても過言ではありません。地方に行くとベンツを乗り回しているのは医者と建設業者だけという話があります。建設業者に仕事があるのは地方では相当部分が公共投資です。今ではよほどの山奥に行っても舗装されていない道路はほとんどなくなってしまいました。公共投資が地方経済を支えている割合が非常に大きいのは事実です。
医療にいたっては健康保険料も含めれば税金の塊です。健康保険で決められている保険点数は東京も地方も変わりません。土地代、人件費が安い地方の医療は相対的に優遇されている面があります(大都市の高密度の医療集中によるメリットもあるので、地方の医療は有利というのは公平さを欠くかもしれませんが)。また、高収入とは言わないまでも安定して一定の給与を得ることができるのは地方では公務員くらいというのは、ある種の現実です。地方公務員の給与は地方交付税を通じ、かなりの部分は国から出ています。税金の配分という点で地方経済のために相当の国費が使われていることは間違いありません。
その中で安倍政権の目玉政策と言われる地方創生とは何をするのでしょうか。首相官邸のホームページには「人口急減・超高齢化という我が国が直面する大きな課題に対し政府一体となって取り組み、各地域がそれぞれの特徴を活かした自律的で持続的な社会を創生できるよう、まち・ひと・しごと創生本部を設置しました。」となっていますが、この官僚的な作文から具体策を想像するのは簡単ではありません。
はっきりしているのは、地方の人口はその地方で得られる仕事に比例するということです。どんなに自然が美しくても、住み慣れた町と人々があっても、仕事がなくては住み続けることはできません。地方創生の舵取りを「まち・ひと・しごと創生本部」としたのはそのためでしょう。しかし、公共投資以外に国主導で仕事、つまり産業を地方に根付かせるのは難しいというより、ほとんど不可能です。地方創生と掛け声をかけても国ができることは何もないと言ってもよいでしょう。
国は頼れない、過疎化、高齢化は止まらない、待っているのは消滅可能性都市への道しかないのか、そう嘆く前に、少し見方を変えると不思議なことに気が付きます。日本の人口はちっとも少なくないという単純な事実です。日本の人口は明治維新の頃、約3千万人でした。それですら、狭い日本では養い切れないというのが、日本人の一貫した危機意識でした。その危機意識がハワイやブラジルに国民を送ろうという移民政策を生み、ついには、アジアに勢力を広げようとする第二次世界大戦へと続いていきます。消滅可能性都市などは想像もできない世界でした。
歴史を振り返らなくても、日本より人口密度も人口も少ない国で豊かな国はいくらでもあります。むしろ、先進国の中でアメリカを除けば1億人以上の人口があるのは日本だけです。人口1億人の未来が来たとして、それが消滅可能性都市という言葉が持つ終末観的未来につながるのでしょうか。要は消滅可能性都市は現在の自治体、現在の集落を維持するのが困難になるとだけという話でしかありません。例えばコンビニチェーンならある地方の人口が減れば店を減らします。自治体の整理統合や、住民の再配置を行えば、現在の利便性が損なわれず、むしろより豊かな自然を楽しめるようになるはずです。
もちろん、住み慣れた家を離れなければならない人々には、自治体の整理統合というのは抵抗があるでしょう。そんなことをするより、再び若者が帰り活気のある故郷が戻ってくるのが望ましいのは言うまでもありません。しかし、人口が減り続けるというのは「既に起きた未来」です。その中で自分の地方の人口を回復させるために予算を費やすというのは、全体としては何も良いことがないゼロサムゲームでしかありません。
それどころか、地方再生が東京の一極集中から地方への分散を図るというものなら、税金をばら撒きながら、東京のグローバル世界での競争力を低下させる結果しか生まないでしょう。そうではなく、例え後追いと言われようとも人口配置に合わせたサービスインフラの整備を進め、どの地域の住民も豊かな生活を楽しめるようにすることが国の施策に求められることのはずです。それ抜きでの地方再生は、ただのゼロサムゲーム、いやマイナスサムゲームに過ぎないのです。
(本記事は「ビジネスのための雑学知ったかぶり」を加筆、修正したものです。)
馬場 正博 (ばば まさひろ)
経営コンサルティング会社 代表取締役、医療法人ジェネラルマネージャー。某大手外資メーカーでシステム信頼性設計や、製品技術戦略の策定、未来予測などを行った後、IT開発会社でITおよびビジネスコンサルティングを行い、独立。