行動経済学的な観点から見た病気の捉え方
あまり縁起の良い話ではありませんが、数年前の年末から年始にかけて立て続けに知人と親戚に亡くなる人がいて、どちらも葬儀への参列から焼き場まで行くことになりました。亡くなった知人は70前の男性。1年ほど前に癌を宣告され手術も出来ないまま抗癌剤の治療を続けましたが、昨年末から急に病状が進行して年を越すことができませんでした。
もう一人は従兄の妻で、年はまだ58。年末年始を海外で過ごそうと旅行に行った旅先での脳出血でした。最初は頭が痛いと訴え入院し、鎮痛剤で眠りについたまま1週間足らずでこん睡状態のまま亡くなりました。どちらも平均寿命よりは大分若く、遺族の嘆きは傍目にも大変深いことが良くわかりました。しかし、たまたま身近に見た二つの死を比べると、同じ死なら癌もそれほど悪くないのかもしれないと思うようになりました。
癌が恐ろしい病気だということは誰もが思っていることです。日本人は3人に1人は癌で死ぬのですが、一部の癌を除けば完全な治療法はありません。抗癌剤や放射線治療の進歩は目覚ましいものがありますが、転移癌や進行性の癌を克服することは非常に難しいままです。癌だと教えられることは死の宣告にも等しいとして、少し前までは癌患者に癌と伝えるのはむしろ例外的でした。山崎豊子の小説「白い巨塔」では、主人公の消化器外科の権威の大学教授が自身が専門の胃癌になっていることを周りが知らせず、本人も死の直前まで本当の病名を知らないままという設定でした。
今では、患者に医療行為の目的や内容を出来るだけ伝える、インフォームドコンセントの流れの中で癌の告知は当たり前になりました。癌と知らされなかったことで適切な対応ができなかったという訴訟すらあります(医療訴訟については「医療訴訟が医療崩壊を招く」をご参照ください)。
インフォームドコンセントであろうと何であろうと、自分が癌だと知ることは大変なショックであることは間違いありません。まして、有効な治療法もなく余命が何カ月と告げられるくらいなら騙されていた方が良いと思う人も多いのではないでしょうか。しかし、そのような本人や家族の気持ちをひとまず横に置いて考えると、癌で死ぬことは他の死より良い点がいくつもあることに気付きます。
癌患者は比較的最後まで意識がしっかりしています。これは最後まで死と向き合わなければならないことを意味しますが、アルツハイマーのように何年にも渡って徐々に病状が進行して次第に家族の顔も名前も判らなくなるようなことはありません。「自分のままで死んでいける」と言い換えても良いでしょう。これは財産の分配や片づけなければならないことを自分の意志で処理できることを意味しています。自分の死んだ後のことを自分の責任と判断で行うことができるということです。
癌が進行すると次第に体力は奪われていきますが、比較的最後まで自分の力で身の回りのことを行うことはできます。介助がなければトイレにも行けなくなることは、本当の末期を除けば、そう多くはありません。幸い、癌に伴う痛みを抑える技術はずいぶん進歩しています。痛みで地獄の苦しみのまま死ななければならないことは稀になってきています。末期癌の患者を受け入れるホスピスも、患者の入院期間が平均2月という短さのためもあって、入院はそれほど難しくありません。
癌の新薬の認可や保険適用が遅れ、高価な治療を自費で行わなければならないこともありますが、癌治療は保険でカバーされるものが多く、高価な治療を延々と続けるようなことは(苦しい割り切りをしなければいけないとしても)必ずしも必要ありません。癌で長患いをしたり、再発、手術を繰り返す人も多いのでこのような言い方は誤解を招きそうですが、癌の発見から1,2年程度で亡くなる患者の場合は癌があまり有効な手立てもなく、症状の緩和程度しかやることがないということが、経済的負担を随分と軽くしています。
癌は慢性病と違って比較的短い罹病期間のため経済的な負担や、看病の重荷が相対的に小さくなるだけでなく、脳出血、心筋梗塞のような血管系の突然死を引き起こすようなものと違って、家族がそれなりの覚悟をして死に臨む時間的余裕も与えてくれます。もちろん、その時間は「地獄のよう」と言う人がいるようにつらいものですが、突然死される遺族の無念さとは違うものです。癌治療では死ぬか治るかの二つしかなく、体に麻痺が残って半身不随になるようなことは滅多にありません。このような言い方は非難されるかもしれませんが、「治らなければ死ぬだけ」で中間的な状態はないのです。
人間はいつか必ず死にます。残念ながら私たちが死に方を選ぶことは、ほとんどできません。進行する認知症で人格を失いながら死んでいく、何の準備もなく事故死や突然死を迎えてしまう。なすすべもなく不自由な状態で余生を過ごさなければならない。そうはなりたくないと思う人は多いはずです。
健康な老後を過ごす中で、ある日、陽だまりの中で眠るように死んでいく、そんなに都合の良い死に方ができないのなら、癌はそれほど恐ろしくも悲惨でもない病気です。もちろん、そんなことを言っているのは自分が癌だと言われていないからです。しかし、それまでは頭の中では「癌で死ぬのはそれほど悪くない」と思うことにしています。
(本記事は「ビジネスのための雑学知ったかぶり」を加筆、修正したものです。)
馬場 正博 (ばば まさひろ)
経営コンサルティング会社 代表取締役、医療法人ジェネラルマネージャー。某大手外資メーカーでシステム信頼性設計や、製品技術戦略の策定、未来予測などを行った後、IT開発会社でITおよびビジネスコンサルティングを行い、独立。