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チューリングテスト
家政婦が部屋の中に入った時、男はベッドの上でもう冷たくなっていました。ベッドの側にはかじりかけのリンゴが一つ。部屋には後で青酸カリが胃酸と反応したものだと判明する少し甘酸っぱい臭いが漂っていました。1954年、イギリスのマンチェスターからほど近いウィムズローという小さな町の事件でした。
白雪姫を真似たような奇妙な死に方でしたが、警察は男が自殺したものと断定します。男の名はアラン・チューリング、数学者としての名声はありましたが、亡くなる2年前にゲイであることを告発され、政府機関の職を失っていました。当時はイギリスではゲイは犯罪とされていたのです。
少し風変わりだが生真面目で優秀な数学者であるゲイの自殺は、小さな町では多少の話題にはなりましたが、世間一般では重大な出来事とは思われませんでした。軍事機密の厚いベールに隠されて、チューリングの功績を知っているイギリス人はほとんどいなかったのです。しかし、チューリングは第二次世界大戦で祖国をドイツからの勝利に導いた最大の功労者の一人でした。難攻不落と考えられていたドイツ軍の暗号、エニグマの解読に成功したのです。
チューリングは1912年イギリスのロンドンで生まれました。小さな頃から、数学に天才的な才能を示し、16歳の時にはアインシュタインの一般相対性理論を読み、定式化の不十分な部分を指摘するほどでした。その後1936年、チューリングは「計算可能数について―決定問題への応用」という計算機科学の基本とも言うべき重要な論文で、チューリングマシンと呼ばれる仮想的な機械の概念を示します。
チューリングマシン
チューリングマシンは、どんなアルゴリズムもその一連の動作に還元することができます。つまりコンピューター(その頃は存在していませんでしたが)で計算可能かどうかは最終的にチューリングマシンが停止する(計算が終了する)かどうかで証明されることになります。ノイマン型コンピューターがコンピューターの工学的な基礎となったのに対し、チューリングマシンはコンピューターが問題解決を行う時の計算、アルゴリズムの理論的基礎を確立しました。
後に、コンピューターのノーベル賞と呼ばれるチューリング賞が創設されますが、これはチューリングがコンピューター科学に残した大きな足跡を記念してのものです。コンピューターの進歩はわずか24歳のチューリングが書いたチューリングマシンの論文に始まったと言っても過言ではありません。しかし、チューリングマシンの論文を書いてほどなく、チューリングは学会の表舞台から姿を消します。軍事機関の中で、史上最強の暗号、ドイツのエニグマ解読の仕事に没頭することになったのです。
「謎」を意味するエニグマと名付けられたドイツの暗号機は、電気仕掛けのローターを数枚内蔵し、その組み合わせで暗号文を生成します。エニグマに限らず暗号は普通、換字と呼ばれる方法を使います。例えばAをL、BをGという別の文字に置き換えるのです。しかし、単純な置き換えではアルファベットの使用頻度などの分析で簡単に破られてしまいます。どの文字も一様に使用されるように、エニグマは巧妙で複雑な仕組みを駆使しています。そのエニグマが作り出す暗号を解くのは、エニグマと同じ働きをする、もう一つの暗号機を作ることに他なりません。エニグマの設計図なしでエニグマを作るのがエニグマ暗号解読と言っても良いでしょう。
実際にはチューリングが開発したエニグマ解読機、Bombeはエニグマそのものではなく、エニグマの円盤式ローターの動きを電気的にシミュレートする一種のコンピューターでした(ただし、プログラム内蔵などノイマン型コンピューターの要件は満たしていません)。連合軍はエニグマ解読に成功したことを徹底的に隠しました。その秘密を守るために、解読を悟られないようにドイツの攻撃を知りながらUボートに狙われた船を見殺しにすることさえあったのです。
機械が人間と同様の思考を行うことができるかどうかをテストする
戦争が終わった後も、秘密は守られ続けました。チューリングは人生最大の仕事について一般には知られないまま、数学者としての仕事に戻ります。そして戦後の世界には、戦争が生んだ原爆と並んで最も重要な発明品であるコンピューターが姿を現していました。
チューリング・テストは、戦後間もない1950年にチューリング書いた「Computing Machinery and Intelligence」という論文の中の、機械が人間と同様の思考を行うことができるかどうかをテストする方法です。チューリング・テストでは判定者がカーテンの向こうの機械と人間の両方に質問をいくつも投げかけて、最終的にどちらが機械か人間か判定できなければ、機械はチューリング・テストに合格した、つまり知能を持っていると考えます。テストはキーボードで質問を入力しプリンターかスクリーンで答えが返されるので、声で人間か機械かを判断されることはありません。
チューリングは、西暦2000年ごろ、100MBのコンピュータがあればテストに合格することができるのではないかと考えたようですが、現在にいたるまでテストに合格した機械(コンピューター・プログラム)はありません。もっともチューリングが論文を書いた1950年当時では、100MB といえば天文学的というのとほとんど同義語で、チューリングが具体的にチューリング・テストに合格するプログラムの構想を持っていたわけではありません。
アメリカのヒュー・ロブナーはロブナー賞を創設して、10万ドルの賞金で毎年チューリング・テストのコンテストをしています。このコンテストでは審査員がチューリング・テストのルールで判定を行って、半数以上の審査員の判定を通り抜ければ合格になりますが、10万ドルの賞金を獲得したたプログラムはまだ表れていません(ただし、ロブナー賞で10万ドルの賞金を獲得するには音声で応答しなくてはいけない)。
チューリング・テストについては、そもそも機械が「知能」を持つという証明になっているのかということも含め、当初から様々な反論が出ていました。チューリング自身もチューリング・テストのアイデアを書いた論文を友人に笑いながら読み上げたという話もあります。それでも、チューリング・テストは、「知能」という漠然とした概念をチューリング・テストの合格という「操作的」な定義に置き換えることで、人工知能の議論を推し進める上で大きな力がありました。
Eliza
チューリング・テストに完全に合格するプログラムをはないのですが、人間に機械に対し擬人的な感情を持たせることは可能です。1966年に開発されたElizaというプログラムは、キーボードから打ち込んだ質問に対し「もっと詳しく言って」「それでどうしたのですか?」「他に理由はないのですか?」といった答えを適当に返すだけなのですが、多くの人を本物のセラピストと会話しているような気持ちにさせることができました。Elizaを機械とは知らず会話した人は、涙ぐむことさえあったそうです。実はElizaはセラピストの代わりをするために開発されたのではなく、おざなりな言葉しかかえさないセラピストへのパロディーとして作られていたようなのですが、それでも知能を有しているように見られたのです。(Elizaを試したい人はhttp://www-ai.ijs.si/eliza/eliza.htmlを参照)
人工知能(AI: Artificial Intelligence)という言葉は、1955年にジョン・マッカーシーというコンピューター学者が言い出したのが最初とされています。機械が人間と同じように思考できるのではないかという思いは、コンピューターが登場したときからありました。人工知能の実現は最初はかなり楽観的に考えられていました。コンピューターがビジネスでも使われるようになり始めた1950年代後半には、「ビル丸ごとの大きさのコンピューターを作り、都市ほどの電力を供給し、ナイアガラの瀑布を冷却水に使えば」人間の脳と同等の能力が実現できると言われていました。要するにハードウェアが高性能になれば人工知能は作ることができると思われたのです。
その後ハードウェアは急速に進歩して、1950年代には冷却にナイアガラの瀑布を使用しなければいけないようなハードウェアはスマホにも搭載されるようになりましたが、一般の人が人工知能に期待するレベルの能力は全く実現されていません。Elizaのように人間側が機械を人間性を持つように考えてしまうということはあり、たとえばゲームで機械相手にいらだったり、怒ったり、優越感を感じることはあるでしょうが、ゲームのプログラムが知能そのものや、まして「意識」を持っていると思う人はいないでしょう。
知能だの意識だの難しいことは言わないから、自動翻訳くらいできないのでしょうか。サイバネティックスで有名なノバート・ウィナーはロシア語は英語の暗号の一種と考え、暗号解読の延長線上で自動翻訳ができるのではないかと考えました。しかし、実際には自動翻訳は満足からはほど遠いのが現状です。翻訳する分野を絞込みある程度使い込めば、そこそこは使えるのですが、汎用的とは言えませんし、時としておそろしくトンチンカンな訳語を作ってしまうことに変わりはありません。人間でも、専門的な内容を訳すには専門知識が必要ですし、滅茶苦茶な訳文はいくらでも作ってしまうのですが、コンピューターとは間違い方そのものが違います。人間が間違うのは「内容が理解できないから」なのに、コンピューターが間違うのは「蓄積されたルールと適合しない文章」を訳す場合だからです。
結局、人間は1)認識し 2)理解し 3)理解に基づいて行動(たとえば翻訳)するのに、コンピューターは依然として2)の理解というプロセスはありません。理解の代わりに、パターンとの照合、評価関数による順位付けなど色々なテクニックをつかっているだけで、本質的な理解、意識の実現に少しも近づいてはいないのです。
このような言い方をすると「理解するとか、意識するとかの定義を示して欲しい」と言う人もいるでしょう。確かに、チューリング・テストのような「操作的」な定義なしで、理解だ、意識だと勝手に使われても困るのかもしれませんが、「定義すらできない」ほど「理解」「意識」の中身はわかっていないのです。
中身もわからず、闇雲にインターネットでコンピューターを沢山連結して何か知能みたいなものができるのではないかと期待するのは、中世の錬金術師と同じです。錬金術師は金以外の物質から金を作るために、ありとあらゆる物質を混合し、熱したり、圧力をかけたり、衝撃を与えたりしました。もちろん金を作り出すことに成功することは誰もできなかったわけですが、「できないことの証明」は金が元素であること、元素は化学合成ができないことがわかるまでできませんでした。
知能、理解、意識というものの根本的な原理を知ることは難しい
チューリングにとってエニグマを解読するとはエニグマそのものを作ることでした。エニグマの円盤式ローターの動きはチューリングの作ったBombeの中ではコンピューター(前述のようにそのものではありませんが)のプログラムの動きとしてシミュレーションされていますが、エニグマの仕組みと動き方を完全に理解してBombeが作られたことには変わりません。
人間の思考とは暗号機あるいはコンピュータのように入力を与えればアルゴリズムにより一定の出力をするようなものではありません。チューリングは知能、理解、意識というものの根本的な原理を知ることが難しいということを知っていたからこそ、チューリング・テストを考案しました。コンピューターの性能はチューリングが夢に描いたレベルを超えるまでになりましたが、チューリング・テストを不要にするような、知能の根本的な原理の解明は進んでいません。意識にいたっては、チューリング・テストのような操作的な定義すらないのです。人間の脳は、依然として一番奥深いところで、人知をはるかに寄せ付けないのです。
追記:
ベーズ確率論を応用することで、アルゴリズムやパターンを組み込まずに、学習的にスパムメールを除去したり、検索語を予測することが、20世紀の終わりごろから盛んになってきました。グーグルの検索語の生成や、仮名漢返還の精度の進歩を見ると、知能はこのようにして作られているのではとも思えてきます。しかし、それでもチューリング・テストに合格するコンピューターは依然として現れていません。
(本記事は「ビジネスのための雑学知ったかぶり」を加筆、修正したものです。)
馬場 正博 (ばば まさひろ)
経営コンサルティング会社 代表取締役、医療法人ジェネラルマネージャー。某大手外資メーカーでシステム信頼性設計や、製品技術戦略の策定、未来予測などを行った後、IT開発会社でITおよびビジネスコンサルティングを行い、独立。