本屋さんの「店頭づくり」の能力が試されている
本日は、田原総一朗さんと堀江貴文さんとの対談本「もう国家はいらない」をご紹介します。
対談本にも色々ある
先日、ギックスの本棚でご紹介した「新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方」とは、同じ対談本でありながら、ある意味、対極に位置するなと感じます。
文章量が少ない
文春新書とポプラ新書の違いなのかもしれませんが、こちらの方が、文字が大きく、ページ数も少ないです。
本書は、単純計算で、35文字×14行×161ページ = 78,890文字。一方の新・戦争論は、40文字×15行×255 ページ = 153,000文字と、本書2冊分に相当します。ちなみに、お値段は780円と830円、共に税別ということで(そういう見方をしてもしょうがないと思いつつ)1文字当たり単価は、0.01円と0.005円になっています。新・戦争論の方が「お値打ち感」がありますよね。
内容が薄い
また、内容的にもかなり薄いです。さらっとしゃべったものを、さらっとまとめたのではないか と思います。田原総一朗さんが、果たして何を掘り下げたかったのかも良くわかりません。(堀江さんは 言いたいことをとりあえず言い放った、という感じを受けます)
思い切って要約してしまえば、本書が言いたいこと=堀江さんが言いたいことは以下の5つだと思います。
- 自分は自由主義者であり、また、未来志向
- その判断基準は、論理>情緒である
- テクノロジーの進化は、グローバル化を進めた
- そしてグローバル化は、フラット化に導いている
- ビットコインが、国家が無くても経済が回る世界を実現する
ターゲットは誰だ
本書を読んで満足できる人は、本書の中で堀江さんが言う「インターネットによって、あらゆるニュースに対してリッチに情報を獲得する」という人たちでは「ない」人たち。つまり、そういうことが苦手な人たちだと思います。
本書で唯一深く語られるトピックは、ビットコインの仕組みです。そのほかのYouTuberの話やキュレーションアプリの 話は、情報感度の高い人なら知っていて然るべきレベルの内容です。(ちなみに、ビットコインについてある程度詳しく書かれているのは、堀江さんがウォレットを開発し、将来的に円とビットコイ ンの交換市場というサービスを立ち上げたいという意思が裏側にある ″ポジショントーク″ だと思います。)
これらのことを考えると、本書は「堀江ワールドの外の人」に向けて書かれている=発言されているんじゃないかなと思うんですね。
そういう観点で考えると、本書の薄い内容が、堀江さんの「どうせ俺らのことなんてよくわかってないんだろうから、これくらい薄っぺらい内容のほうが何となく雰囲気が伝わって丁度いいんじゃないかな」という意図を込めた広報作戦ならば非常に凄いなと思います。一方、堀江さんにそんな意図がなく、単純に田原さんが引き出せたのが「これだけ」だったのだとしたらちょっと残念な仕上がりだなぁと思います。
もうちょっと具体的言ってしまえば、帯に書いてある
異能の実業家・堀江貴文の思想に、ジャーナリスト・田原総一朗が挑む。
というほどには、挑み切れていないような気がしますが、実際のところ、どうなんでしょうかね。
ポプラ新書ってなにもの?
そもそも、本書を発行している「ポプラ新書」とは、なにものなのでしょうか。(僕は、おそらく初めて買いました)
出所:ポプラ新書 トップページ
なるほど、まだ創刊して1年くらいなんですね。また、wikipediaによると
人々が健やかに、生きる喜びを感じられる世界が実現できるようにという願いを込めて創刊された。 創刊時には「生きるとは/共に未来を語ること/共に希望を語ること」「未来への挑戦!」という言葉が掲げられた。
とのことです。「生きる喜びを感じられる世界が実現できるように」というのは、かなり解釈の幅が大きいなと思いますが、まぁビジョンなんてそんなものですよね。きっと。
他にどんな本を出しているのかなとみると
- コミュニティ発電所 ~原発無くてもいいかもよ~
- ストイックなんて無用だ
- ダメダメな人生を変えたいM君と生活保護
- バカボンのママはなぜ美人なのか
- ○に近い△を生きる
- ブラック企業VSモンスター消費者
- ウソをつく力
- 母という病
- 専業主婦になりたい女たち(2014年12月刊行予定)
お、おう。そういう感じですか。
- 孤独な死体 ~法医学で読み解く日本の今~
- 私が伝えたい現代日本史 (※田原総一朗さんが2分冊で書いてる本です)
みたいな、ちょいと硬め(にみえるタイトル)のものもあるみたいですが、基本的には「結構薄めの内容で、さらっと読めそうなもの」が多いのではないかと推察します。(違ってたらごめんなさい)
堀江さんというコンテンツの浪費
この本は、正直言うと「堀江貴文」という”異能の実業家”というコンテンツを浪費しているだけな気がします。
コンテンツの浪費については、先日、スターウォーズネタでも述べたとおり「愚の骨頂」です。堀江さんのエッセンスを薄める結果になるのではないかと思います。僕は”堀江信者”ではありませんが、なんとなく、「堀江貴文って人は、色々なことを深く考えていて、その思想が理解されなくてもしょうがないと思っている」のだろうと感じています。要は「わかる奴だけわかればいいんだよね」的な人なのかなと。
そういう意味では、本書は「言いたいことを言った。わかる人だけわかればいい」ということはしっかり伝わってるのですが、考えの深さとか、そういうことはイマイチ見えてきません。
これは、やっぱり、プロローグもエピローグも書いている、田原総一朗さんの責任なのではないかと思ってしまいます。エピローグから引用します。
堀江の言葉が理解できなくて何度も問い直し、言ってみればへたばりそうになる時代遅れの身を、いらだちや不快さを示すことなく、おそらくは思い切ってスピードダウンして、これ以上ないという親切さで道案内をしてくれた。
うむ。そうですか。なるほど。
やはり、これは「堀江貴文ワールド」の外の世界である、「田原総一朗ワールド」の人に向けた堀江さんの広報本とみるのが良さそうです。そういう意味では、おそらく、僕の書評(ギックスの本棚)にアクセスしてくれた方には物足りなくて当然、ということになるでしょう。一方、「堀江貴文ってどうなの?」と思っているおぢさま世代には、田原総一朗さんが理解したのと同じプロセスで、堀江さんの言っていることを理解できる良書と言えるのかもしれませんね。
本屋さんのセンスって重要
なぜ、僕が本書を買ったのかというと、某エキナカの書店で「新・戦争論」の隣に平積みされていたからです。同じ新刊本(刊行後1~2か月)ということもありますが、カテゴリーとして「社会派」みたいな括りになっていたと思います。(さらに隣には、石原慎太郎さんの「エゴの力」が積んでありました)しかしながら、今回述べたように、本書と「新・戦争論」は、あまりに性質が違います。それを並べてよいのか。
これって非常に重要なことです。なぜならば、街ナカの書店と異なり、エキナカの書店は「時間のないときにサッと買われる」という傾向が強いはずです。(調べたわけではないですが、立地上、主な用途としてそうなると思います。)そういう場合に、何をどう並べるか、は本屋さんの「付加価値」なのではないかと思います。
web通販に駆逐される前に
Amazonに代表される書籍通販や、さらには電子書籍が進む中、「リアルな本屋さん」は何をもって差別化するのかをもう少し考えないといけない時期に来ています。
例えば、最近は本屋さんの中でコーヒーを飲みながら本を読むことができたりします。有名な蔦屋書店×スタバの組み合わせ(代官山、六本木、佐賀県武雄市図書館)に限らず、恵比寿アトレの有隣堂においても、隣接するスタバのコーヒーを持ち込めるコーナーが設置されました。(昔は、せいぜい椅子があれば先進的 という程度でしたよね)
一方、今回僕が本書を買ったエキナカ本屋さんでは、そんな「ゆったり本を選ぶ」というシチュエーションにありません。ですので、内容をしっかり吟味して買うかどうか決める、ということはなかなか難しい。そうなると、POPや陳列順序などの”店頭販促”が重要になります。
また、同じ店頭販促でも、エキナカとヴィレッジ・ヴァンガードでは求められるものが違うでしょう。行ったことのある方には説明する必要がありませんし、言ったことない人には説明してもわかっていただけないと思うので説明は割愛しますが、ヴィレヴァンの店頭販促は本当に秀逸ですよね。でも、あれと同じだけの情報量を、同じようなトーンで「エキナカ」に持ち込んでも、正直、効果はでないでしょう。
利用シーンを想定し、それに合致した棚づくり、店頭づくりが鍵でしょうね。その際に「書籍名」だけで並べずに、もう一歩踏み込んでいただきたいと切に願う次第です。
というわけで、なんだか書評シリーズというよりも、ニュースななめ斬りシリーズの様相を呈してしまいましたが、そんな日もあるよね、ということでご容赦くださいませ。