隣のミュータント
ミュータントとは突然変異という意味ですが、SF小説などでは主に突然変異により現れる新しい人類を指します。SFで描かれるミュータントは超能力を持っていて、人類と対決したり人類を助けたりするストーリーが多く、超能力を持つことをミュータントの定義にしている場合さえあります。しかし、実際に現生人類から新しい人類種が生まれても、超能力を持つことは考えにくいでしょう、瞬間移動、時間遡行、などは物理的に不可能ですし(もちろんわれわれの知っている物理学の範囲でですが)、新幹線より速く走ることもできないでしょう。新人類とは言っても所詮現生人類の隣に位置する一生物種に過ぎません。むしろ新人類は新しい人類種がいつもそうであったように、それまでの人類種より高い知能を持っているだろうと考える方が自然です。進化には恐竜がどんどん巨大化したり、トナカイの角が生活に不便なほど大きくなるように、一つの形質が強まっていくことがよくあります。人類種の知能の発達が現生人類で止まってしまうと考える確たる理由はありません。
それではどうして人類種は新種が出るごとに知能を向上させてきたのでしょう。チンパンジーと人類は7百年前に遡れば共通の祖先を持っていました。一方の人類が7百万年の間に脳を肥大させ知能を高めていったのに、チンパンジーはほとんど変化していません。7百万年前の人類の祖先は現在のチンパンジーと非常によく似ていたはずです。7百万年の間に人類が知能を発達させ続けた理由として考えられるのは、人類はチンパンジーと枝分かれした早い段階で直立歩行をしていたということです。直立歩行は手を自由にし、道具の発達を促します。より良い道具は生存競争で有利なりますが、そのためにはより発達した脳を持つ必要があります。つまり直立歩行による「環境」の変化が人類の脳の発達を促したのです。
進化は遺伝子が突然変異を繰り返すことで起きますが、突然変異の頻度自体は一定だと考えられます。それが特定の方向への形質の変化を起こすには、形質の変化が生存競争で有利になるような環境の変化が必要です。逆に環境がその生物の生存競争を左右するほど変化しなければ、シーラカンスように何億年もほとんど変化しないこともあります。
チンパンジーの世界の環境はチンパンジーに大きな進化をさせるほど変化しなかったのに、人類は直立歩行で道具を使うようになることで自分自身の生存競争のルールを変えてしまったのです。さらに、人類がチンパンジーと違って急激に進化した背景には、チンパンジーがアフリカの特定の地域に留まっていたのに対し、人類がアフリカを出て世界中(ただしユーラシア大陸の範囲ですが)に広がったことがあります。
広く勢力範囲を広げた人類は異なった環境を与えられたことで、新しい環境に適合する必要がありました。現生人類が生まれた後でも、ヨーロッパの太陽光の乏しい天候に適応するように白人が生まれました。湿度が高く高温の東南アジアの人たちは小柄で平板な体つきになることで、体温の放射を容易にしています。進化を加速させる要因に環境と並んで重要なこととして、ある程度孤立した小集団が形成されることがあります。突然変異による変化は大きな集団では拡散されて、環境に合わせた特定の進化の方向を作るのが難しくなります。人類は広い地域に分散し、それぞれの比較的小さな集団の中で変化したDNAの密度を高めていったと思われます。
それでは、 現代社会で進化を引き起こすような環境の変化と、変化したDNAの密度を高めるような小集団の形成という条件が揃うことはあるでしょうか。グレゴリー・コクランとヘンリー・ハーペンディングの書いた「一万年の進化爆発」は、文明が生まれてからの人類の環境の変化と、さらにその中でアシュケナージ系ユダヤ人が小さな集団の中で知能を高めていったと主張しています。コクランたちが指摘している文明による環境変化のおよぼす進化への影響として、農業によって定住で人口密度が上がれば様々な伝染病のリスクは急に高くなることが挙げられています。人類は伝染病との戦いで伝染病に強い遺伝子をより沢山残してきました。つまりどのような伝染病に晒されているかで民族ごとの遺伝子プールは違ってきます。
それでは知能はどうでしょうか。著者たちはヨーロッパに住むユダヤ人、アシュケナージ系ユダヤ人は差別のために農業に従事することは難しく、金貸しや、税金の取り立てのような特殊な職しか開かられていなかったと述べています。中世から近世に至るまで人口の大半は農民でした。ユダヤ人が従事した現代の事務職に相当するようなこれらの職業は農民とは違う能力を要求したことは確かでしょう。それはIQで測定できるような能力、知能だったはずです。そして、近代に入るまでは経済的な成功こそ沢山の子供を後世に残す最大の要因だったと著者は主張します。つまりIQの高さは生存競争と進化にとって意味のある働きがあったというのです。
しかし、「一万年の進化爆発」に書かれているような知的職業での優位性は現代ではアシュケナージ系ユダヤ人だけのものではありません。社会的成功につながるのは、腕力ではなく知力です。アシュケナージ系ユダヤ人が中世のヨーロッパで差別され閉鎖的な遺伝子プールを作ることで実際にIQの平均値を高めたとしても、これからも閉鎖社会が続くとは考えにくいでしょう。それではIQを高めるような進化上の環境が作られることはもうないのでしょうか。現代では少なくとも先進国では職業選択の自由は保障されています。しかし、夫婦間のIQの相関は非常に高く、その相関は兄弟よりさらに強いと言われています。実際、恋人や夫婦関係を維持するためにはIQ(ここでは知能はIQそのものだと仮定しています)が近い方が話題や興味が一致する可能性が高いのは事実でしょう。読む本の内容、物事の理解の方法、教育方針などはIQの違いにより異なってくるのは普通です。
グループを運営するにもお互いのIQが近い方が有利です。効率的なグループを作るためにはIQで20以上違わない方が良いとも言われています。高い知能が要求される科学の分野でさえ、統率力やコミュニケーション能力がグループリーダには求められます。ノーベル賞を受賞するためにはIQ140程度が最適値という説まであります。IQが140程度であればIQ120から160という「秀才」たちを束ねることは可能ですが、IQが180もあると風変わりな天才たちのリーダーにしかなれないというわけです。IQの近い者同士でグループさらに恋人、夫婦を作るということが何世代か続けば、そのグループの高い知能という形質は段々強まっていくはずです。IQの中央値は120から140さらに180、200と高くなっていくかもしれません。
非常に高い知能を持つ集団は想像を超える成果を上げることができます。第2次大戦中マンハッタン計画はたった3年で原子炉さえ存在しない段階から原爆を開発し実戦使用を実現しました。マンハッタン計画は後にノーベル賞を受賞した天才物理学者が何人も参加していました。その多くは共同作業の苦手な変わり者でしたが、かれらは力を合わせて非常に短時間で原爆を作り出したのです。例えばIQの中央値が200を超えるような集団は、とてつもない成果を上げる一方で、一般人とは隔絶したコミュニケーションを行うことは容易に想像できます。一般の人たちはとても「付いていけない」のです。
このような天才集団を支援するツールが現れました。それはインターネットでありSNSです。インターネットはそれ以前とは比較にならないほど大量で高密度の情報交換を可能にします。地理的な制約もありません。世界中の高知能の持ち主たちをグループとしてまとめていくことも可能なのです。今、インターネットの中で無数のコミュニケーショングループが生まれています。その中には超高度な知能集団もあるでしょう。かれらは普通の人には理解困難なハイレベルな会話を日々交わしているかもしれません。そしてそれがリアルな恋人関係、夫婦関係につながっていけば、新人類誕生の苗床になることも考えられます。
ここまで「高い知能」を意味するためにIQを「身長」のような意味で使ってきました。背の高い人同士でグループを作れば背がどんどん高くなるだろうという理屈です。しかし、知能はIQで測定できるものとは別の意味合いも考えられます。例えば、1万5千年前に突然現れたラスコーの壁画は、自然認識や芸術性でそれまでの人類にはなかった能力が人間に備わった結果のように思えます。
突然変異が一定の確率で起き続けるのなら、再び今まで想像もつかなかったような能力が人間に与えられることもあり得ます。そしてその能力を活かすためには、直立歩行で得た自由な手のように、高度なIQが必要になるかもしれません。そうなれば、新しい能力をもたらすDNAが高IQのグループにだけ広まっていき、ついには別の人種、ミュータントを生み出すのではないでしょうか。
それがどんな能力なのか、理解力や創造力にどんな変化をおよぼすかは「現生人類」に過ぎない私には想像はできません。ミュータントが生まれれば、かれらは独自の哲学、価値観で現生人類とは異なる社会を作っていくかもしれません。それはバラ色の未来なのでしょうか、それとも現生人類が抑圧されていくという暗黒の世界なのでしょうか。
(本記事は「ビジネスのための雑学知ったかぶり」を加筆、修正したものです。)
馬場 正博 (ばば まさひろ)
経営コンサルティング会社 代表取締役、医療法人ジェネラルマネージャー。某大手外資メーカーでシステム信頼性設計や、製品技術戦略の策定、未来予測などを行った後、IT開発会社でITおよびビジネスコンサルティングを行い、独立。