ご隠居は「合理主義」の人
弊社ブログに「ご隠居の視点」シリーズをご寄稿頂いている馬場正博氏にインタビューし「ご隠居の視点とはなにか?」についてお聞きしました。
行動経済学が思考のベース
網野:
本日はお時間頂きありがとうございます。
私が前々々職のCSK(現SCSK)で営業企画部に所属していた時に、馬場さんは隣の部署(コンサルティング部門)で顧問のような役割を担っておられました。そのご縁で、弊社のOwned Mediaにご寄稿頂いていますが、馬場さんの記事を見ていると、常に「経済合理性」というものを前提に文章を構成し、論を展開しているように見受けられます。2002年頃に私が馬場さんと知り合った頃から、そういう「考え方」のベースは変わらないなぁ、と感じているのですが、馬場さんご自身はどのようにお考えですか?
馬場さん:
そうですね。自分の思考の癖として「行動経済学」と言うものを”思考の軸”にして文章を組み立てていると思います。後は、「ゲームの理論」と「進化生物学」ですね。科学的なアプローチってコンサルティングに通じるところがあると思っています。そのため、ビジネスだけに留まらず、社会問題や政治的な側面も常に「行動経済学」「ゲームの理論」「進化生物学」などの観点で考えていると思います。ただ、あまりに”合理性”で物事を捉えてしまうために、”感情”や”情緒”を重視する方々の気分を害してしまうことがあるようです。苦笑
「合理的」なのは サラリーマン時代から
網野:
「行動経済学」「ゲームの理論」「進化生物学」を前提にした考え方は、いつ頃、身に付けたものなのでしょう。
馬場:
もともと理系なので、合理的に考える癖は最初からあったのだと思います。ちょっと私の仕事の経験からお話ししますね。
私は最初にIBMに技術職として入社しました。当時はコンピューターと言えば汎用機しかない時代でしたね。汎用機は営業だけでは売れないものなので、SEと言う職種をIBMが作りだし、営業とSEがセットになって汎用機を売っていました。技術職の中でも、「顧客が使うシステムのアプリケーション側を担当する技術職」と「汎用機の機械そものもの仕組みとかを把握してパフォーマンスを出して行く技術職」があり、私は後者でした。
最近も”ビッグデータ”とか盛んに言われていますが、当時のシステムは非常に高価だったこともあって、銀行などのシステムはデータパフォーマンスも信頼性もすぐに限界にきてしまうという問題を抱えていました。そこでは、汎用機側の仕組みを理解してハンドリングしていく役割が非常に重要でした。
その後、新製品などを担当することになったのですが、当時はMVS(Multiple Virtual Storage(多重仮想記憶))というものが非常にファンタジックな時代で、それ(MVS)を米国本社に行って理解して、日本に展開する役割になりました。当時の「汎用機のシステム」ではOSをいじることもありましたので、MVSが以前の汎用機から移植可能かなどそんなことを検討していましたね。
そのため、クライアントのシステム部門に向けて「大型システムの動向はどうなるのか」などのプレゼンをして回る役割もこなしていたのですが、これは非常に楽な仕事でした。(笑)だって、5年後のIBMのテクノロジー計画を説明すれば、それが世の中の5年後の未来だったわけですから。
その後、IBMが81年にPCを出して、クラサバ(クライアントサーバ(client-server)モデル)、ダウンサイジングが始まった。世間の風潮は「ダウンサイジングにすれば安くなる」、「IBMをつぶせ」的な感じになっていました。
きっと私は幕末における幕臣みたいな感じだったのだけど、その頃は本気でクラサバを使うことは、経済合理性から見ても非常に不合理だとおもっていたのですよ。分散するのではなく、データが集中しているからこそのメリットは非常に大きい。管理面から見ても、安定性から見ても、分散ではなく、集中しているから良いことの方が多かったし大きかった。
だけど、今から考えると結局はもっと大きな意味ではトレンドを見ていなかったのかもしれない。きっとIBMもDECもPCを作る技術はあったが、顧客を見ていなかったというか、知らなかったのかもしれない。
顧客はサービスを求めていたのだが、会社としてはテクノロジーを売っていた時代で、誰も”サービス”なんて考えていなかった。ガースナー改革の頃はむしろ「IBMは技術があるのに、なぜサービスカンパニー化する必要があるのだ?」という不満を持っていました。ただ、そのタイミングでIBMを離れることになり、そこからは「”テクノロジー”は一部の人間が知っていればよく、大切なのは結局は”ビジネス”だ」と思うように徐々に変化していきました。
IBMの後は、孫さんが立ち上げたナスダックに転職したのですが、ご存知の通り色々とすったもんだがあり・・・まぁ、詳細は語りませんが 笑
最終的に、CSKに入って網野さんと知り合うわけですね。
話が長くてごめんなさい。いやー、こうやって自分の人生を今から振り返ると、大きく間違っていたのは2つで、大学時代の全共闘とIBM集中主義だなぁと反省してしまいますね。笑
つまり、昔から経済合理性と言うことを考えるタイプの人間ではあったものの、汎用機の時に技術トレンドや経済合理性だけを重んじた反省点から、「行動経済学」「ゲームの理論」などを強く意識するようになっていったのだと思います。
行動経済学・ゲームの理論、を意識したCSK時代
網野:
なるほど、やはり人には歴史がありますね。さて、最近もBCGの御立さんが「経営戦略をゲーム理論で考える」と言う本を書いていますが、馬場さんは2002年当時からも”ゲームの理論”的な思想で物事を整理・構造化されて資料を作っていましたよね。
馬場:
そうですね。「やばい経済学」とかも良い本ですよね。あのくらいなら数学の知識はなくても読めるでしょうし。
で、2002年ですね。うん。網野さんと一緒に仕事をしていた頃はビジネスが中心にあったので、ビジネスに関して「行動経済学」や「ゲームの理論」で構造化をしていました。
ただ、最近はほとんど隠居の身なので、社会問題などを「ゲームの理論」的に整理したりすることが増えました。社会問題を構造化するのに「行動経済学」や「ゲームの理論」は使いやすいですよ。公共の設備、例えば道路は自分の家の前だけに引かれても意味がない。全国に通ってこそ価値がでるし自分に取っても有益になる。ただ、それが究極的に行き過ぎると、国の利益はあっても自分には何もメリットがないと言うトレードオフになる。最近は色々な社会問題をゲームの理論で構造化しています。気軽な隠居の身なので、思うことを気軽にTwitterで書いたりしていますが、それを好ましくないと思っている方々もいるようで・・・あくまでも「合理的に考えたらこうなのではないか?」といっているつもりなんですけどね。
合理的に考えて「ビジネスを捉える」とは?
網野:
最近はビジネスからはすっかり離れてしまっているのですか?確か、以前お会いした時には、医療領域などのコンサルティング等にも従事されていたと思うのですが。
馬場:
まぁ、細々とやってはいますね。ただ、もう、ご隠居ですからねぇ。笑
例えば、いま話に上がった医療業界ですと、医療関係者は「医者が一番偉い」と言う意識が強いと感じます。でも、私に言わせると医者はR&Dや製造の責任者と言う位置づけであり、本来的にはCEOやCOOは”事務局長”の役割だと思っています。新サービスや新商品開発といった”戦略策定”は事務局長の役割で、それに適した開発部長や製造部長を持ってくるのが「合理的」だと思っています。
例えば、美容系のクリニックの場合、Googleなどのキーワードを分析して行けば、患者が欲している症状や治療法などはある程度トレンドをつかむことができますよね。でも、その技術を医者がすぐに身に付ける、というわけにはいかないので、世のマーケット(医療系人材市場)からそれが「できる人間」を採用し、機材を揃えて速やかにサービスを提供できるようにする。それと同時に、ターゲットとする患者、当然来院可能なエリアなどの条件も踏まえてターゲット設定するわけですが、それにあわせて検索ワードを買いに行ったり、バナー広告の設定を調整する。さらに、そういうキーワードで検索してくる患者はホームページの説明もよく読むので、最新の機材などはどーんと写真を大きく載せた上で、採用してきた医者から最新の治療法や自分達の治療方針などをしっかり文章で説明してもらう。
そうするだけで、そのクリニックの収益性は大きく変わりますよね。
さらに、その一連の過程で最新の機材も増えて行って、顧客ベースも増えて、新たな医者・技術者も採用しやすくなる。その結果、さらに次のサービス開発も行いやすくなる。最近の治療は非常に専門化が進んでいて、技術の習得も難しくなっているので、「一人の医者が浅いサービスを広く提供する」よりも「深い経験を個別の医者が担当し、それを複数人配置する」方がうまく経営できるのです。
これらは医者である医院長が経営すると非常に難しいですが、経営が分かる人間が行えば、そう難しくないことですし、きっと誰にでもできます。
網野:
いや、そこまでを一人で考えて実行まで持ち込める人はいないので、「誰にでも」はできないと思いますが。。。笑
今回、お話を聞いて「合理主義」を核とした馬場さんの思考の型が、非常に良くわかりました。うちの役員の田中も「思考の型|考え方を考える」ということで連載記事を書いていたりしますので、彼にとっても良い勉強になると思います。
本日はありがとうございました。引き続きOwned Mediaへのご寄稿をよろしくお願いします。