過ちを繰り返すだけの人類が進む”未来”とは?
本シリーズでは、火の鳥を読み解いていきます。火の鳥の全体構成については、コチラをご参照ください。(尚、本稿で紹介するのは、小学館クリエイティブ発行の「GAMANGA BOOKS」の「火の鳥」です。)
あらすじ
こういうのは、僕がクドクドかくことでもないので、GAMANGA BOOKS版 火の鳥の裏表紙より引用します。
西暦3404年。
地球は瀕死の状態で、人々は巨大なコンピュータに管理された地下都市でかろうじて生き延びていた。
人間に姿を変えた無定形生物・ムーピーのタマミとともに地下都市を逃げ出した山野辺マサトは、荒野で行き倒れ、世捨て人の猿田博士に救われる。
その頃、地下都市ではコンピュータの暴走から核戦争が起きる。
人類滅亡から新人類誕生までを描く 壮大な物語。
ストーリーの特徴
この未来編は、3404年ということで「完全なる空想された未来」です。
地球は5つの「永遠の都」と呼ばれる地底の大都市(メガロポリス)にのみ文明が存在するという”瀕死の状態”です。そして、それらのメガロポリスはコンピュータによって管理されており、人々は、その指令に従って生きています。機械に支配された世界、という設定はSFの王道と言えば王道ですね。
そんな、5つのメガロポリスのひとつ、日本を模したと思われる「ヤマト」で、絶滅したはずの不定形生物ムーピーを、こっそり飼育している山野辺マサトが主人公です。彼はそのムーピー「タマミ」が見せてくれる幻影で、在りし日の地球の大自然を再現させ、また、タマミ自身も美しく若い女性の姿となることで共に楽しく暮らしています。コンピュータの指示によって、タマミを殺すように言われたマサトは、タマミを連れてメガロポリス・ヤマトから脱出します。
脱出したヤマトは、”黎明編”の猿田彦の鼻を受け継ぐ「猿田博士」と出会います。彼は160歳。この50年、メガロポリスの外に研究所を設け、様々な生命を”培養”しています。彼の培養した生物は「人口羊水」で満たされたカプセルの中でしか生きていられません。彼は、滅びゆく地球を、自らが培養した生物たちで、何とか「命溢れる姿」にしたいと願っています。
最終的に、メガロポリスのコンピュータは暴走し、互いに破壊し合うことを選択します。そして、人々がそれに従って行動した結果、5つのメガロポリスは、ほぼ同時に消滅し、世界は多量の放射線物質に汚染された状態となってしまいます。滅亡です。
この”未来編”における火の鳥は、雄弁に語ります。”黎明編”では、自らの事を一切語らなかった火の鳥が、ここでは、自らを「地球の分身」と名乗り、地球の意思を伝えます。そして、マサトを「地球を滅亡から救う存在」「進化をやりなおす役目」に任命し、不死の存在とします。
不死となったマサトは、猿田博士の遺志を継ぎ、研究を進めますが、生物の培養もロボットの開発もうまくいかず、最終的に「生物の進化のプロセス」を見守るという選択肢を選びます。何十億年という時間をかけて。物語の最期、人類が生まれ、進化し、その結果として”黎明編”が始まったところで本編は終わります。過去だと思っていたはずの”黎明編”が、30億年と言う悠久なる時を越えた”さらなる未来”に現れる、というわけです。
黎明編のような「過去」の物語から一点、どこにも資料もなければ情報もない「完全なる空想の世界」を”想像”あるいは”創造”できるという、手塚治虫の「別の凄さ」を感じます。「有」を組み合わせて「優」をつくるスキルと、「無」から「有」をつくるスキルは、全くの別物ですからね。
機械に支配される世界
この世界では、5つのメガロポリスを支配する5つのコンピュータが「絶対の存在」として君臨します。
日本=ヤマトは”ハレルヤ”、ロシア=レングード(レニングラード)は”ダニューバー”が、それぞれを支配しています。その他に、アメリカ=ユーオーク(ニューヨーク)、フランス=ルマルエーズ(ラ・マルセイエーズ)、中国=ピンキング(北京)の3つのメガロポリスも、それぞれコンピューターに管理されています。
朝食に白いご飯を食べたくても「合成パン」を食べなければなりません。彼女と別れなさいと言われれば、別れます。そして、相互に戦って滅べ、と言われれば、その通りに滅びます。
「人として生きる」とは何なのでしょうか。自らの責任とはいえ、地上で生きていくことはかなわず、地下に潜り、自らが開発したコンピュータの指示に従って、ただ、ひたすらに「生活する」という人生が本当に「生きている」と言えるのでしょうか。
猿田博士の培養する生き物と、地底に暮らす人間は同じ
一方、メガロポリスを出て、一人で暮らす猿田博士。彼が、地上にかつて存在した生物を”培養”しているのは、メガロポリスへの反逆です。しかし、彼の培養する生物は、人口羊水に満たされたカプセルからでると、泡となって消えてしまいます。
しかも、悲しいことに「カプセルから出たい」と願い、泡となるのは「知性を持った存在」だけなのです。知性を持たない限り、外に出たいと訴えることもなく、その結果、死ぬことは無いのです。
このカプセルの中でしか生きられない培養生物たちは、地底の管理された楽園「永遠の都:メガロポリス」から出ては生きていけない人類たちと同じ存在なのだと僕は思います。機械に支配され、日々を無為に過ごす”培養カプセル内の生活”を受け入れるか、安穏たる暮らしを捨てて(猿田博士やマサトのように)外界に飛び出すか。
人としての尊厳は、誰かから与えられるもので暮らすのでなく、自ら何かを求め獲得するという姿勢にこそ表されるのかもしれません。
ムーピーは「人間の夢見る力」の象徴
コンピュータ(ヤマトのハレルヤ)は、不定形生物ムーピーの幻影をみせる力(ムーピー・ゲーム)を「人間を堕落させ、無気力にさせる」として、全て殺すように指示を出します。マサトと共に暮らす「タマミ」が最後の一匹なのです。
ムーピーが「思い通りの世界」を観せ、体験させてくれるのは、確かに、現実逃避を助長するかもしれません。特に、ムーピー・ゲームに興じる人が”培養カプセル内の生活”を受け入れる人々であれば、尚のことそうでしょう。(こういうタイプの人は、映画マトリックスの「仮想現実だとしても、その世界で暮らしていたい」というタイプの人、と理解していただければと思います。)
一方、「理想を描く力」「夢を抱く力」というのは、人を人たらしめる ”人間らしさ” のひとつです。その「力」は管理された世界では、危険なものかもしれませんが、人間らしく生きるためには、非常に重要な力です。
ムーピーのタマミと共に暮らすマサト、ムーピーに心奪われる猿田博士(そして、最終的にはロックも)が、とても人間臭く描かれるのは、手塚治虫が最も人間から離れた姿形をした不定形生物「ムーピー」を、”人間らしさの象徴”として設定したからなのではないかと僕は思うのです。
過去へとつながる未来
前述した通り、”未来編”の結末は”黎明編”へと繋がります。過去だと思っていたものが、未来だったという「ループ構造」になっています。黎明編の3,000年後の「未来」、若しくは、黎明編の30億年前の「過去」が”未来編”なわけです。(以降は、便宜上、黎明編→未来編、と言う時間軸で語ります)
しかし、いずれにしても、人は戦争をやめません。”黎明編”では国家権力者の意思によって行われた戦争が、”未来編”ではコンピューターの意思によって行われます。そして”黎明編”では人と人とが殺し合い、ニニギが率いる高天原族が勝者となりますが、”未来編”では一瞬で全ての都市が消滅し、勝者は存在しません。
黎明編で生き残った民族も、3,000年後には全て滅ぶわけです。なんと悲しい結末でしょう。
ナメクジ文明もまた、戦争を行い、滅ぶ
マサトが悠久の時の中で人類が”再び”現れるのを待つ間に、ナメクジが知性を獲得し、文明を築きます。
しかし、そのナメクジたちもまた、北方種と南方種の間で戦争を起こし、壊滅します。人類と同じように・・・。
そして、滅亡に際し時に、最後に残ったナメクジが、マサトにこう言い残します。
あなた・・・・
聞いてますか・・・私に最後のグチをいわせてください
なぜ私たちの先祖は かしこくなろうと思ったのでしょうな・・・
もとのままの下等動物でいれば もっと楽に生きられ・・・ 死ねた・・・ろう・・・・に・・・・・
進化したおかげで・・・・・・・・・・・・
知性を持った結果、辿り着く結末は、ここにしかないというのでしょうか。我々人類は、このナメクジを笑うことができるのでしょうか。
人類は、地球を滅ぼす存在なのか
”未来編”では、人類は地球を滅ぼす存在として描かれます。火の鳥は、マサトにこう言います。
地球は死んではなりません 「生き」なければならないのです
何かが間違って地球を死なせようとしました
「人間」というごく小さな「生きもの」です
人間を生み出して進化させたのに その進化のしかたがまちがっていたようです
人間を一度無にかえして 生みなおさなければならないのです
そして、火の鳥によって不死となったマサトは、新たに生まれた人類を見て、こう嘆きます。
愚かな人間よ
浮気者で はでずきで けばけばしく飾りたて 嫉妬深く 他人を信用せず うそつきで 残忍で・・・・なんとみにくい動物じゃ
わしは そんなおまえたちなど望まなかった・・・
わしがほしかったのは 新しい人間なんだ
そして、”未来編”の結末は、以下のように結ばれます。
「でも 今度こそ」と火の鳥は思う
「今度こそ信じたい」
「今度の人類こそ きっとどこかで間違いに気がついて・・・・」
「生命(いのち)を正しく使ってくれるようになるだろう」と・・・・・
火の鳥の願い、は届くのか。それは、僕たち「現実世界を生きる人類」への問いかけに他なりません。
火の鳥とは何者か
黎明編では完全に謎に包まれていた「不死の象徴」火の鳥は、未来編では雄弁な語り手として現れます。
本編では、火の鳥は「地球の分身」を名乗ります。そして、地球が、人間というウイルスに侵されて死にかかっている、と言います。そもそも、地球を含む全ての星は「宇宙生命(コスモゾーン)」である、と。その地球が、死ぬのだと。
さらに、素粒子レベルに砕いても、惑星・宇宙レベルまで引いてみても、この世界は同じ構造、つまりフラクタル構造になっていることを伝えます。
極大のものから極小のものまで みんな「生きて」活動しています
そして、人や生物が「死」を迎えたとき、それは「コスモゾーン」の一部となります。即ち「火の鳥」の一部となります。
この世界観は、手塚治虫の「ブッダ」でブラフマンが説くものと酷似しています。まさに「手塚治虫の死生観・生命のあり方への理解」が、この部分に現れているように思います。
「火の鳥」が何者なのかが読者に明かされた今、”ヤマト編”、”宇宙編”、と続くこの物語がどのように進展していくのか、引き続き、興味深く読み進めていくこととしましょう。
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