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ギックスの本棚/仁義なきキリスト教史(筑摩書房 /加神恭介著)※追記あり

AUTHOR :  田中 耕比古

”アナロジー”を突き詰める事の「凄さ」と「怖さ」

仁義なきキリスト教史

本書は「宗教」を「暴力団組織」に喩えてみたという構造で、「キリスト教の歴史を任侠小説的に書く」という”とんでもない思いつき”を、とことん真面目に突き詰めた小説仕立てのキリスト教解説本です。

「キリスト教」を「キリスト”組”」と称し、全編、登場人物が”広島弁”で話すという、なんともとんでもない構成で、読者の度肝を抜く怪作・奇作です。

概要

”キリスト組”の勃興から、キリスト組系列内での権力争い、そして国家権力との闘いと融和を経て超巨大な敵対勢力”イスラム組”との抗争(十字軍の派遣)などのドラマを描く。ペトロとパブロの確執、任侠に熱いルターなど非常に人間臭い「ヤクザ(宗教家)」が語る壮大なる抗争の歴史ドラマ。(という体で語られるキリスト教の歴史)

章ごとに解説コラムによる補足もあり、キリスト教の興りから宗教改革までの歴史をサラリと俯瞰できる”小説”です。

アナロジーとしての切れ味

言われてみれば、確かに「暴力団=組」と「宗教=教団」は類似する部分があるように思えます。(※あくまでも私見且つ一般論です)

  • 道を極める、と書いて極道。そういう意味では、宗教も一つの「道」であり、それを極める「宗教家」「信者」は”極道”と呼べなくもない。
  • その宗教に入信することは「盃を交わす」と類似する。
  • 宗教側から信者を除名することを「破門」と呼ぶ。
  • 何らかの名目で金品を徴収し、それを収益とすることが「シノギ」と似ている。
  • 宗教は、信者を増やすことが存在意義。「縄張り争い」という事ができる。
  • 当然ながら、信じる宗教が違えば争いが起きる。それは「抗争」に似ている。
  • ある教義を効率的に広めていく(縄張りを広げていく)ためには、分派をつくって分割統治していく必要がある=分家ができる。
  • 国家権力との無闇に戦うのは得策ではない。国家とうまく(合法的に)付き合うことができれば勢力拡大ができる。

しかし、このような視点で世界最大の宗教「キリスト教」を取り上げるというのは、通常ならば「禁じ手」ではないかと僕のような凡人には思えてしまうのですが、本書では、これを全うします。その心意気は尊敬に値しますね・・・凄い・・・

アナロジーの効果とリスク

アナロジー(比喩表現)は非常に便利な代物です。コンサルタントも、良くアナロジーを使います。

「プロジェクトマネージャーは、監督です。」
「フレームワークは料理のレシピみたいなものです。」
「この業界は10年前の製薬業界の置かれた状況に似ています。」
「本部の企画部門は脳であるべきですが、支店の営業企画は脊髄であるべきです。」

このように、”既知の情報・状況”に喩えることで、スムーズな理解を促すわけですね。これは非常に効果的ですし、非常に便利です。

然しながら、残念なことに、アナロジーにはリスクがあります。

世の中には「全く同じ状況に置かれた、別の事象」というものは存在しません。つまり、どれだけ似通った類似例を挙げたとしても「だいたい似てるけど、ちょっと違う」ということになるわけですね。ここに、アナロジーの限界があります。

アナロジーとうまく付き合うためには

本書は、あとがきにあるように「エンタテインメント作品」です。

留意点として、本書は小説であることを明記しておく。娯楽作品である。筆者も自身能力の及ぶ限りにおいて学問的に誠実であろうとしたが、エンタテインメント性との秤にかけた場合は、たいていの場合エンタテインメント性を優先した。

従って、アナロジーで表現したことによってキリスト教の歴史が曲解・誤解されたとしても「入門書として興味を持つ」ということに寄与すれば良い(もしくは、小説として楽しく読んで貰えればいい)という潔いまでの割切りの下に書かれているのだと思います。つまり、読者もそういう認識で読まねばなりません。

一方、コンサルタント(に限らず、ビジネスマン全般)がアナロジーを使う場合は、幾つか留意すべき点があります。例えば、

  • 相手が、「喩えたもの(本書で言うと”ヤクザ”)」について、十分な知識がある=アナロジーを理解できることが大前提
  • ロジカルに似ている、と、感覚的に似ている が必ずしも一致しないことに注意する(詳細な説明が必要な「類似」はアナロジーに向かない)
  • ディテールの違いが無視できるほど小さい、もしくは、主要な論点において本質的な問題とならない
  • 一度使ったアナロジーは、簡単には印象から消せない(ある日”野球”に喩えたことを、翌日に”テニス”に喩えるのは愚策。例え、テニスの方がより本質的に似ていたとしても)

といったことが挙げられます。ビジネスにおいては「曲解」は致命傷を招きます。(という、これもアナロジーなわけですが、、、)

本書は、非常に良くできた「アナロジー小説」ですが、当然ながら無理がある部分も散見されます。(例えば、”奇跡”についての記述は前半のイエス、ペテロの頃はまだ理解できますが、中盤のガレリウスの下りはさすがに、、、と思ってしまいます。*1)

この”ギックスの本棚”の読者の皆さんが、本書”仁義なきキリスト教史”をお読みになる場合には「アナロジーの見本帳」という一歩引いた視点で捉えてみるのも一興かと思いますよ。

関連記事:【”考え方”を考える】アナロジーで考える ~戦略コンサルタントって、プロ野球選手みたいなものじゃん?~

 

3/7追記:
*1)ネタバレになるので詳細は書きませんが「ヤクザの恐怖」と「神の威光」を同列で例えるのには限界があると思うのです。

 

仁義なきキリスト教史

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