”考える人”のためのデータ活用
Data Driven(データドリブン)という言葉が、広く使われていますが、それと似て非なる言葉として「Data Informed」というものがあります。
Data Driven を、字義どおりに受け取れば「データによって(物事が)ドライブされる(推進される)」ということで、データが主体となります。データによって、真理が導き出され、データによって何をなすべきかが決まる。そういう印象を強く与える言葉だと言えます。
一方、Data Informedは、「データによって(人が)情報を与えられる」ことです。先ほどのData Drivenと対比するならば、「情報を与えられた人が、物事を推し進める」という表現がわかりやすいでしょう。つまり、Data Informedの主体は、ヒトです。
辞書を引いてみよう
念のため、辞書(wikipedia)も引いておきましょう。
まずは、Data Driven。こちらは日本語のwikiがありました。
データ駆動:
wikipdia: データ駆動
データ駆動(データくどう)または データドリブン (data driven) は計算機科学における計算モデル (抽象的な計算の方法) のひとつである。データ駆動においては、ひとつの計算によって生成されるデータがつぎの計算を起動し、つぎつぎに一連の計算が実行される。
ちょっとお求めのものとは違いますよ感が否めませんが、「データによって、自動的に次のステップに進む」という、「データが主体で物事が進む」という定義との齟齬はなさそうです。
続いては、Data Informed。こちらは、英語のwikiしか見当たりませんでした。
Data-informed decision-making:
wikipedia(英語):Data-informed decision-making
Data-informed decision-making (DIDM) gives reference to the collection and analysis of data to guide decisions that improve success.
タイトルが、そもそも「データを付与された意思決定」となっていますので、冒頭で述べた通り、「人が主体」と考えてよいでしょう。で、DIDMって略すんですね。でぃどぅむ、とか読むんでしょうか。
短文だとしても、英語を読むなんてうざいことしてられない、って方のために適当に訳しておくと「DIDMは、集めたデータや、それを解析したものをちゃんと見ることで、意思決定をよりええ感じにしてくれるんやで」的な感じですかね。まぁ、guide と言ってますので、意思決定主体はデータではない(=他にいる)と考えてよいでしょう。
もう少し引用しておきましょう。
While data based decision making is a more common term, data-informed decision-making is a preferable term since decisions should not be based solely on quantitative data.
wikipedia(英語):Data-informed decision-making
なるほど。「data based decision making」ですか。確かに、そういう言葉もありますね。例によって適当に翻訳しときます。
【田中の適当翻訳】” data based decision making ”(データに基づく意思決定)という言葉の方が一般的かもしれないけどさ、意思決定は定量的なデータだけに基づいて行うもんじゃないから、”data-informed decision-making”の方が好ましいと思うんだよね。
データ「だけ」で判断するもんじゃないから、「データを受けて、自分で考えて意思決定しなしゃんせ」ってお話ですね。そういう意味では、Data-Based と Data-Driven は割と近い語感なのかもしれません。
In Business, fostering and actively supporting DIDM in their firm and among their colleagues could be the main rôle of CIOs (Chief Information Officers) or CDOs (Chief Data Officers).
wikipedia(英語):Data-informed decision-making
【田中の適当翻訳】 ビジネス領域の話だとさ、CIOとかCDOが、会社組織や社員が、DIDMをちゃんとできるように、人材育成したり、積極的にサポートするべきだよね。
※興味のある人は、ぜひ、原文をどうぞ。(あと、気が向いたタイミングで、wikipedia財団へのお布施もねっ!)
Data-Informed の方が、適用範囲が広い
ここまで観てきた通り、Data-Driven、もしくは、Data-Basedに比べて、Data-Informedは、人間に依存する部分が大きいわけです。
機械に任せるべき仕事もある
とは言うものの、世の中には、「人間がやるよりも、機械(誤解を恐れずに書くならば、いわゆるAI)がやった方が良い事」と言うものがたくさんあります。例えば・・・
・膨大な情報を高速で処理する必要があるもの
デジタル広告の出稿・配信は、完全にこの領域ですね。リアルタイムビッディングとか言いますが、機械同士で「ナンボ払う?」「この金額でどう?」「それやったら、もっと払ってくれる人に回すわ」「え、そうなん?じゃ、もうちょっと払うから、頼むわ」みたいな相対取引をコンマ数秒間に複数の相手とやるってのは、電脳世界が実現したとしても、おそらく人間には無理っすね。(草薙素子ならいざ知らず)もう少し、身近な例だと、株式の取引なんかもそういう世界になりつつありますよね。
・過去データを使って、不確実な何かを予測するもの
天気予報や在庫管理(発注数量の決定など)は、機械の方が得意でしょう。「何を発注するか」になってくると、いろいろデータだけで判断しにくいこともありますが、どういう商品群でどんなニーズをカバーするかが決まっていれば、日常の発注数量コントロールは機械の方がうまく処理してくれます。なお、個人的見解としては、人がやっても機械がやっても信頼性が上がらものも、いっそ機械がやった方が無駄が少なくてよいんじゃない?という気持ちもあったりします。(占い系とかね。)
でも、人間がやるべきこともある
一方で、世の中の多くの意思決定は、データによって一意に決まったりはしません。名著と名高い「ストーリーとしての競争戦略」から引用します。文中の”理屈”を ”データ”もしくは”分析結果” と読み替えていただけばよろしいかと思います。
理屈 では 説明 が つか ない 野性 の 勘 が 勝負 の 八 割 を 決める。 その とおり だ と 思い ます。 しかし、 それでも なお、 私 は 学者 と 実務家 が やり取り する こと には 意義 が ある と 思っ て い ます( そう で ない と、 この 本 は ここ で 早く も おしまい に なっ て しまい ます)。 図 1・2 を ご覧 ください。 理屈( 論理) と 理屈 で ない もの の 比率 は 一緒 です。 八 割 は 理屈 では 説明 が つか ない に し ても、 ビジネス の もろもろ の うち 二 割 は、 やはり 何らかの 理屈 で 動い て いる わけ です。「 ここ までは 理屈 だ けれども、 ここ から 先 は 理屈 じゃ ない」 という よう に、 左 から 右 へと 考え て み て ください。 する と、「 理屈 じゃないから、理屈 が大切」という逆説 が 浮かび上がってきます。
ストーリーとしての競争戦略(Kindle版)
楠木先生の名著を引用しておいて、程度の低い例を出すのは気が引けるのですが「天気予報が雨の確率が高いと言った」は、理屈です。では、傘を持って行くかどうかは一意で決まりますか?といえば、決まりません。
- 今日は、地下街の移動とビル内での仕事が中心だから・・・
- 会社に置き傘が増えてしまっているから、むしろ朝は我慢して午後はそれを使おう
- そもそも、荷物が増えるのが嫌だから、極力持って行きたくないなぁ
とかいう「天気を予想するのとは、まったく別の情報」を用いて意思決定をするのが、人間です。特に、最後の例は「個人の意向・主義」です。これは、機械でどうこうするのは相当難しいです。 (不可能とは言いませんが、これを機械にやらせるメリットもありません)
他にも、今日の昼ごはんに何を食べるか、 タクシーに乗るか歩くか、連絡を電話にするかメールにするか、などの意思決定も、データで一意に決めることは困難です。
当然ながら、もっと高度な意思決定、例えば、企業買収、研究開発、事業承継、人事異動、採用判定、設備投資・・・(四字熟語みたいですね)などにおいては、楠木さんのワードで言えば「理屈」、このブログのテーマで言えば「データ」だけでは決められないことがてんこ盛りです。
そこで、「論理によってサポートされた理屈」あるいは「分析によって意味を与えられた情報」をインプットとして、しっかりと「理屈の外」「データの外」の世界を人間が行うべき、ということに帰結するわけです。
これが、まさに「Data-Informed decision-making(データインフォームドな意思決定)」です。
さて、こうなると、人間の思考を強化し、より良い意思決定に寄与するためには、果たして、どのような情報提供(dataのinform)が望まれるか、ということになるわけですが、そのあたりは次の機会に譲ることとします。