第二十四戦:vs おつう@柳生の里 (第10巻より):ありのままの自分って、だいたい脆いよね|バガボンドを勝手に読み解く
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- POSTED : 2016.06.10 08:14
f t p h l
弱い自分は、平常心の敵。でも、それを受け入れるのって大事。
この連載では、バガボンドの主人公 宮本武蔵の”戦闘”シーンを抜き出し、武蔵の成長について読み解いていきます。連載第24回の今回は、おつうとの再会です。
連載の概要はコチラから。
おつうとの再会
前回、柳生四高弟との戦いを優勢に進めた武蔵ですが、戦いの最中に聞こえてきたおつうの笛の音に気を取られてしまいます。その隙を突かれて、窮地に陥ったものの、なんとか四高弟を振り切り、柳生石舟斎の居室の前までたどり着きます。
先ほど聞こえた笛の音も「己の弱さ」「生への執着」と切り捨て、いざ石舟斎と戦わんと踏み出したその時、目の前には、柳生石舟斎のもとに身を寄せていた おつう が、石舟斎を守らねばと、刀を構えて現れます。
その姿を見たとたん、武蔵の殺気は消え去ってしまいます。
ついに天下無双の剣と相対する時を得た
命のすべてをぶつける心の用意は出来ていたはずだ・・・・・・それが今・・・ 霧散している・・・!!
おつう は、武蔵の「人間性」の錨
おつうとの対決(というか、対面?)は、2回目です。前回は、宮本村の山狩りでした。
当時の武蔵は、出会うものを全員敵に回し、殺気をばら撒いていました。しかし、今回は”強さを究めたい”という思いは変わらないものの、人と人とのコミュニケーションはとれる状態での再開です。獣じみた野性の強さと共に、最低限の人間としての立ち居振る舞いを備え、剣士として独り立ちしてきたと言えるでしょう。
しかし、今回も、以前と同様に、武蔵はその戦いへの意欲を削がれてしまいます。
がむしゃらに強さを追い求める武蔵に、ひと時の人間らしさを取り戻す瞬間を与えてくれる存在なんですね。武蔵の「人間らしさ」の根源が、おつうなのかもしれません。
連載12回で引用した、沢庵和尚の言葉を再引用します。
剣の道を志し 修羅の如く 己を追い込んでいくのも武蔵
おつうの夢ばかり見て 悶々としているのも武蔵
ワシにイタズラするのも武蔵
ぜーんぶひっくるめての お前なんだ いいんだ それで
認めてしまえ ありのままのお前を 修行はそこからだ
深いなー。沢庵和尚。深いわー。
そして、武蔵は、おつうと会うと「ありのままの自分」と否が応でも向き合わされてしまうんですね。
自然体・平常心とは違う。
戦いの中で自然体でいる、という話と、ありのままの自分を受け入れる、ということは別物です。ビジネスの現場に置き換えて考えてみましょう。
仕事において「平常心を保つ」ということは、プロフェッショナルとしての心構えの話です。仕事とは、目的・目標を設定し、その達成のための道筋を描いたら、あとは全力で走るだけです。ここにおいて、感情の揺れは邪魔な存在でしかありません。驕り高ぶるのも、ビビッてしり込みするのも、どちらも成功から遠のいてしまうことを意味します。できるかぎり、客観的に物事を捉えると同時に、自分自身も客観視することで、揺らぎを最小化することが求められています。
一方で、ありのままの自分を受け入れる、と言う場合は、弱さや揺らぎそのものを受け入れることを意味します。生きていれば、彼女と喧嘩してしまった、とか、ペットが病気になったとか、そういうネガティブな事態に陥るもあれば、誕生日だとか週末にデートを控えているとかいうポジティブな状況に出会うこともあるでしょう。これらの事象に影響を受けて起こってしまう「揺らぎ」を自分自身の一部として受け入れることが「ありのままの自分」と向き合うということを意味します。
これ、めっちゃ難しいですよね。だって、揺らいでたら戦いで負けるかもしれないから、平常心を究めようとしてるんですもんね。(実際、おつうの笛の音で心を揺らした武蔵は、それまでかなり優勢で進めていた四高弟との戦いで、劣勢に追い込まれます。)その一方で、人は常に揺らいでいるのも事実です。果たして、僕らはどうしたらいいのでしょうか?
と、投げかけてみたものの、僕は何かの達人なわけではないので、その問いに対する「答え」を持ってるわけもないです。ということで、最近すこし考えていることを無責任な感じでツラツラ述べてみようと思います。
認める ことがスタート
先ほどの沢庵和尚の言葉を再読すると「認めてしまえ ありのままのお前を 修行はそこからだ」という言葉で締めくくられてます。
ってことは、たぶん「ありのままの自分を認める=揺らいでいることを理解する(修行のスタート)」→「戦いの場では揺らがないように修行する」→「戦いの場での平常心」というステップなんじゃないかなーって思うんです。
僕、なんだかんだでメンタル弱いんですよね。なにかというと揺らぎまくります。ただ、客先プレゼンだとか、社内のミーティングとかだと、どれだけ精神的に揺れていても(打ち合わせ開始時はサスガに多少はアレですが)調子を取り戻します。睡眠不足だとか二日酔いとかの肉体的な不調も、多くの場合、打ち合わせそのものにおいてのパフォーマンスには影響しません。但し、そういう場合には、打ち合わせが終わった瞬間に撃沈し、次の打ち合わせまで再浮上しませんけれども。
いつからそうなったんだろうかって思い返してみると、2011年の震災のあたりからなんですね。もちろん、それ以前も、プロフェッショナルとして仕事のパフォーマンスを一定以上に保つように心がけてましたし、傍目に見ると、それなりにパフォームしてたはずだと思います。いや、わかんないですけど、たぶん、そうだと思っています。ただ、大きく意識が変わったのは2011年の春でした。これは間違いないです。
高校生の時に阪神大震災がありました。僕は兵庫県の北部に住んでたので、大きな揺れは感じたものの、家が壊れるとかいう事態にはなりませんでした。ただ、実家の家業に関係する方が、阪神地域に多くお住まいでしたので、その被害の大きさにとても心が痛みました。そして、2011年。ここでも、僕自身が大きな被害に直面することはありませんでしたが、多くの方がお亡くなりになりました。この二つの震災で「本当に、人間は、いつ死んでもおかしくない」ということを痛感しました。そして、いろいろ吹っ切れました。
無駄に強がらない。無駄に八方美人しない。揺れてるとき、特にネガティブに振れているときには躊躇せずに予定をキャンセルする(プライベートの場合ですよ)。極力、僕自身の揺れ幅が大きいことを理解し、許容してくれる人と付き合う(プライベートはもちろんですが、可能ならば仕事上も)。そんな行動指針を持ちました。弱くて脆い自分を理解し、しょうがないよ、だって、そういう人間なんだもん、と開き直った感じですね。
一度、開き直ると、モノゴトの捉え方が大きく変わります。まず、自分が揺れているときに、それが、何が原因で揺れているのかを冷静に見極められるようになりました。そして、それが、どの程度、どういう作業のパフォーマンスに影響を与えるかも大体把握できるようになりました。結果、仕事においてのパフォーマンスが上がりました。自分の状態(揺らぎ)の影響が大きく出そうなタイプの仕事を一時的に遠ざけ、その状態でもそつなくこなせそうなタスクを先行して行う、などの調整をしはじめたんですね。
これが、果たして、仕事で平常心を保つ、ということなのかどうかは定かではありませんが、己の状態を理解し、その弱さも含めて受け入れて仕事を回す(結果を出す)ようになっているのは間違いないです。
いずれにしても、バガボンドを継続的に読み解きながら、僕自身の”心の在り方”をもっともっと磨きぬいていきたいなと思う次第です。修行するぞ、修行するぞ。
連載の全体像はコチラから。
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