第十七戦:vs 宝蔵院 胤栄 (第6巻より):敗北から学べ|バガボンドを勝手に読み解く
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- POSTED : 2016.04.08 08:21
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劣勢においてこそ、真の実力が問われる
この連載では、バガボンドの主人公 宮本武蔵の”戦闘”シーンを抜き出し、武蔵の成長について読み解いていきます。連載第17回の今回は、宝蔵院初代 胤栄との戦い(正確には、胤栄に教えを乞う)です。
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武蔵、敗北を見つめる
前回、胤瞬に完膚なきまでに叩きのめされた武蔵は、全身に痛みを抱えた状態で、老僧の家で目覚めます。戦いの記憶は、断片的にしか残っておらず、なぜ、自分がここにいるのかさえも判然としません。そんな中、弟子(といっても勝手についてきただけですが)の城太(じょうた)から掛けられた「逃げることなんか教わりたくない」という言葉によって、無様に逃げ出したことを思い出します。
そして、手当をしてくれた老僧が「胤栄」その人であるということを知り、自らが「ちっぽけな存在」であると痛感するのです。
俺は強い そう思いたかっただけなのか
「強い俺」は虚像だった 死の覚悟すらできていなかったのだ
同じだ
俺もあの野武士も同じじゃねーか
またふりだしに戻っちまったのか
あの野武士、というのは、武蔵との戦いの中で、部下を見捨てて戦略的撤退を選択した、辻風典馬のことです。(関連記事:第二戦:vs辻風典馬 / 場慣れした敵を倒す) 武蔵は、逃げる辻風典馬を追いながら、「ひきょうもの」と断じました。その典馬と変わらないじゃないか、と思い至ったわけです。
しかし、負けたままで終わる武蔵ではありません。前回の敗北を噛み締めつつ、「生きているから負けじゃない」と虚勢を張って、胤舜の師である「胤栄」に自らを鍛えてくれと頼み込むのです。
負けを見つめ直す
胤栄は、武蔵に「どうすれば胤瞬に勝てるか?」と問いますが、至極当然ながら、武蔵には答えられません。胤栄は「わかりゃせん 負けを今一度見つめ直さぬうちはの」と言います。
胤栄が構えると、その姿は、武蔵の目には胤舜に重なります。そして、体はこわばり、思い通りに動けなくます。「自分が胤舜にビビッている」ということに否応なく気づかされるわけです。
そんな武蔵を胤栄は山の中に残して、里に下ります。「山はおまえの故郷ーーー そして師じゃろう? どうやったら恐れは消えるか 答えはここで見つけるがよい」という言葉を残して。
相手を知る
武蔵は、山の中で暮らしながら、子供の頃のことを思い出します。父である新免無二斎に「相手のことを知らずして、どうやって勝つのか」と問われたことを。この思い出は、父のことを何も知らない、という悲しい思い出ではありますが、その一方で、胤舜のことを何も知らない自分に気づかせてくれるきっかけになります。
俺は胤舜の何を知っている? 何も知らず 姿を見たことすら無く ただやみくもに向かっていっただけだ 功名心のみで
兵法も何もない 己の力を過信して 戦いが始まれば何とかなると思っていた
なんと幼いーーー なんと醜い過信
許せん 宮本武蔵……!! 許せん!!
武蔵の怒りは戦いの相手ではなく、自分の未熟さに向かいます。そして「負けは認めない」ものの「勝ちへの途中」と位置付けて、胤舜のことを知りたいと、胤栄に願い出ます。
己を知る
胤栄は、老いたとはいえさすがに「宝蔵院流槍術」の創始者です。武蔵の腕では足元にも及びません。何度やっても、ボコボコにやられますが、なんとか太刀筋(とはいいませんかね。槍筋?)を見極めようと奮闘していきます。そんな中で、沢庵和尚の言葉を思い出します。
見まいとすれば 心はますます とらわれる
心が何かにとらわれればーーー
剣は出ない そのとき お前は 死ぬだろう
一枚の葉に とらわれては 木は見えん
一本の樹に とらわれては 森は見えん
どこにも心を留めず 見るともなく 全体を見る
それがどうやら・・・・・・ 「見る」ということだ
この言葉を思い出し、武蔵は自らに問います。「あの戦いで俺は 何かにとらわれていたのか・・・?」「あの戦いで俺には 胤舜が見えていたのか?」と。
そして、胤舜の眼光、立ち姿にとらわれていたこと、また、同時に、自分が強いという思い込みにとらわれていた、と思い至ります。そんなことでは、敵が見えるはずもないと気づくのです。
見るともなく、見る
その後、しばらく胤栄に稽古をつけてもらう日々が続きます。ある日、木の上にのぼっていたところに、胤舜が現れます。武蔵を探しに来たのかどうかは定かではありませんが、十文字の刃を持つ真槍を携えて、森の中に現れた胤舜は、ちょうど武蔵が上にいる木の幹に「二撃」の突きを加えて立ち去ります。
武蔵は、その姿を眺めながら、沢庵の言葉「見るともなく全体を見る」を思い出します。
見ろ 奴を
今度は 見ろ
そうして、胤舜の動きを「見るともなく 見る」べく努めた武蔵は(明確な描写はないものの)、その後も胤栄に鍛え上げてもらう日々を過ごします。
胤舜に負けた頃には三日月だった月が、満月にほど近くなる頃、「胤栄が武蔵を鍛えている」という情報を得た胤瞬からの挑戦状が(胤栄経由で)武蔵の元に届きます。このころには、武蔵の再戦準備は、胤栄の助けを借り、また同時に、新免無二斎や沢庵和尚の言葉の力も得て、整っています。
振り返れない奴に、次は無い
前回からの流れの中で、武蔵は平常心が保てていない、ということを述べてきました。しかし、この連載を振り返っていただけばお分かりいただける通り、辻風組の残党10数名に囲まれたときも、風呂に入っている際に不意打ちをされたときにも、武蔵は動じていません。極めて平静です。
これは、自分が優位(だと感じている)状況に置いては、平静を保てた、ということです。一方で、負けるかもしれない、という状況に置いては平常心が保てませんでした。
振り返ってみると、吉岡清十郎に一撃で額を切り裂かれたときには、恐怖を感じる暇もありませんでした(面と向かっては勝負してもらえませんでしたからね)ので、むしろ闘志を燃やす結果となりました。また、吉岡伝七郎に負けそうになりつつも何とか互角の戦いを演じた際には、死への恐怖を感じて体がこわばりはしましたが、伝七郎からの休戦の申し出によって、それと向き合う必要が生じませんでした。(伝七郎の甘さ、というべきでしょう。)
胤舜との戦いによって、初めて「劣勢」を意識し、そして、恐怖によって平常心を奪われてしまったわけです。いわゆる「呑まれた」って奴ですね。
ビジネスにおいても、呑まれたら負ける、と言うお話は前回も述べた通りです。しかしながら、ビジネスは殺し合いではありませんので、一度相手に呑まれて敗北しても、次の機会が必ず訪れます。その際に、同じように負けないためには「敗戦を見つめる」ということがとても重要です。
今回の武蔵の思考プロセスは、敗戦を見つめるための”考え方”として、そのままビジネスの現場にも適用できます。
負けを見つめ直す、とは、すなわち、失敗の原因を探ることです。武蔵の場合は、相手に対する予備知識の無さ=準備不足が、大きな課題でした。その課題を解決し、次につなぐためには「相手を知る」努力が必要です。そこで、胤舜を知るために、胤舜の師である胤栄に師事を願い出ます。シンプルな解決策ですよね。そして、相手を知ろうと望んでも、思い通りにはいかない(胤栄の動きが見えない)ことから、己自身の心構えの問題にたどり着きます。「知ろうにも、そもそも見えないのは何故か?」という問いは、非常に哲学的ではあるものの、非常に的を射ています。武蔵の場合は、圧倒的な身体能力に下支えされたスキルは(おそらく)十分に高いため、心を鍛えることが急務でしたので、この問いで、ほぼゴールへの道筋が見えたことになります。
ビジネスシーンでいえば、例えば、プレゼンが上手くいかなかった、頑張ったが契約に至らなかった、という場合に、「相手のニーズに合っていなかった」ということを疑う必要があります。つまり、「相手を知る」努力が足りなかった可能性があるわけですね。そうすると、相手のことをリサーチします。普通にリサーチして、情報を取得できれば良いのですが、出来ない場合は、取得方法を考えることになるでしょう。また、情報が取得できて、相手の関心事やニーズを捉えることが出来たとしても、それにミートするように、提案の内容を変更し、さらには、話し方や服装なども最適なものに調整すべきです。(余談ですが、僕は、白シャツ+細いフレームのメガネ、カラーシャツ+白フレームメガネ、ラフな服装+黒の太いセルフレームメガネ、などを、プレゼンや打ち合わせの状況に応じて使い分けています。)
失敗して終わり、ではなく、次なる成功のために(武蔵流にいえば「勝ちへの途中」を進むために)何が必要なのかを見極めることは、ビジネスにおける再現性向上に、極めて重要です。
また、武蔵が深く反省して心に描いた「兵法も何もない 己の力を過信して 戦いが始まれば何とかなると思っていた なんと幼い なんと醜い過信」という言葉も、そのままビジネスに当てはまります。無策に動いていませんか? それは、ただの過信ですよ。初対戦で勝てるなら、負けないで勝った方が良いんです。事前にちゃんと考えて、勝利への道筋を描きましょう。思い当たる節があれば、改めたいものです。(僕も深く反省しています。)
胤栄からみれば、胤舜もまだまだ未熟
この「平常心を保つための精神鍛錬」に関連して、師匠である胤栄が評する胤舜の「弱さ」をご紹介します。非常に含蓄深いです。
心技体ーーー
胤舜の技・体に死角はほとんどない
天才 だがそれゆえにーーー
心を磨きぬく試練に事欠く
あらゆる状況をーーー
時に己の命を業火にさらすような状況を乗り越えてこそ「心」は充実を見る
胤舜もそれがわかっているが 天才ゆえに 相手の命のやりとりにしかならん
どんな剛の者でも真剣勝負は怖い わしでもじゃ
じゃが その恐怖から目をそらさずに受けとめ それを傍らにのけておくことができる
それが本当に強い者じゃ
胤舜は「恐怖」を知らぬ ゆえに未熟
(中略)
武蔵 胤舜に「恐怖」を教えることができるかね?
戦いの最中に、常に「平常心」を意識するなど、武蔵に比べれば格段に精神的な鍛練を積んでいると思えた胤舜も、胤栄の目から見れば「相手の命を奪う際の平常心」に過ぎず、「己の命を危険にさらした状態での平常心」ではないというのです。しかも、天才であるが故に、そんな状況には追い込まれない、とは・・・。成長って、本当に難しいですね。
さて、次回は、胤舜との再戦・・・と言いたいところですが、その前に、武蔵の父、新免無二斎に登場していただきたいと思います。
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