第十一戦:vs 吉岡伝七郎(第3巻より):壁にあたった時にこそ、芯の強さが試される|バガボンドを勝手に読み解く

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vagabond3

認めたくない事実を、認められるか?

この連載では、バガボンドの主人公、宮本武蔵の”戦闘”シーンを抜き出し、武蔵の成長について読み解いていきます。連載第11回の今回は吉岡道場への殴り込みの最終戦である、吉岡伝七郎との戦いです。

連載の概要はコチラから。

でかいが、早い。伝七郎。

前回、吉岡清十郎に額を切られた武蔵は、色街へ去った清十郎を追いかけようとします。しかし、連載第8回で武蔵が打倒した5人の門弟が、全て息を引き取ったということもあり、当主清十郎の弟である伝七郎が、武蔵の行く手を阻みます。

門弟 「高階さんが・・・いま・・・!! これで やられた5人 全員が息を引き取りました」

伝七郎 「わかったか・・・ こちらには戦う理由がある・・・!! 宮本武蔵 貴様を殺す理由がな!!」

これは、試合というよりは「私刑(リンチ)」に近い形式となります。吉岡道場の全員が、武蔵を許さないと考えていますので、刀も与えられません。

武蔵の手元には、吉岡清十郎に二つに切り割られた木刀(の切れ端)が2本ありますので、これを「二刀流」の構えで持ちます。(これが、本作で初めて武蔵が「二刀」を構えた姿です。)

武蔵は、このうちの短い方を伝七郎に投げつけ、相手がそれを捌く一瞬のすきに、間合いを詰めて左肩へ激しい一打を加えます。この一撃は、かなりのダメージを与えますが、木刀が短かったこともあり、致命傷とはなりません。そこで、武蔵は、別の木刀を手に取って、伝七郎と再度相対します。

本来の長さの木刀で、伝七郎に斬りかかります。その剣圧はすさまじく、触れずとも、伝七郎の肌にアザを残すほどです。それを見た門弟が「悪鬼のようだ」と口にしたのを聞き、武蔵は「悪鬼とは ここでは褒め言葉だ」と、笑みを浮かべます。

が、さすがは吉岡家の次男 伝七郎。つばぜり合いの体制から武蔵の持つ木刀の柄を削り取ったり、武蔵の剣をことごとく躱すなど、その実力を見せつけます。

なぜ かわされるか・・・動きの鈍い大男に・・・ わからぬと見える

教えてやろう

俺にも小さい頃はあった

物心つくかつかぬ頃から俺はーーー 吉岡清十郎の剣を受けてきたのだ

貴様の剣は 見えている

そして、上段の構えから一閃。武蔵の左肩から腹にかけて、袈裟懸けに切り裂きます。

しかし、武蔵もただものではありません。体をひねって、ほんの少しだけ間合いをあけ、致命傷を避けます。この様を植田良平はこう評します。

一瞬 体を捻って致命傷をまぬがれたっ!!

あの伝七郎さん こん身の一の太刀を たとえ不完全といえども かわせるものではない

命のやりとりといえるほどの戦いを 何度も経験してきた者でなければ

そして、ここで、武蔵の父 新免武蔵が、先代の吉岡拳法を唯一破った存在であることが明かされます。武蔵の強さのルーツが垣間見える瞬間です。

さて、袈裟懸けに斬りつけられ、致命傷とは言わないまでも、大きなダメージを負った武蔵ですが、伝七郎も、冒頭の左肩への一打によって大きなダメージをこうむっています。こうして互いに決め手を欠き、相打ち覚悟でしばらく相対する二人でしたが、道場が火事となったことから、伝七郎は休戦を申し出ます。

こうして、1年後の再戦を約束して、武蔵は道場を後にするのでした。

はじめての「恐怖」に向き合えるか?

武蔵は、伝七郎との戦いで、修行後初めての「死への恐怖」を感じます。(幼少期に、父、新免無二斎に対して感じていた可能性がありますので、敢えて、修行後、と書いておきます)

足が出ねえっ!! 床に根を張ったように 動かん

怖いのか?

手も

恐怖で動けんというのかっ この俺が

死がーーー

怖いのかっ・・・?

この感情は、至極真っ当です。今までは「死など怖くない」「覚悟はできている」と言ってきた武蔵ですが、武蔵と言えども人間です。死に直面して恐怖することに、なんらおかしな部分はありません。

ビジネスにおいても同様です。負け知らずで人生を進めるほど、世の中は甘くありません。どこかで「負け」を喫しますし、その際に、恐怖を感じることを、なんら恥じる必要はありません。(そもそも、殺されることはまず無いですけどね。)

しかし、問題は、初めての恐怖に向き合えるかどうかです。武蔵は、まだ、向き合えていません。頑なに、恐怖を感じた自分を拒みます。

(火事の中、「去れ」と言った伝七郎に対して)

まだ一本ずつだ・・・ 勝負はついていない

(1年後の再戦を約束して、道場の外に出た後に)

吉岡伝七郎 吉岡清十郎

吉岡清十郎!! 吉岡伝七郎!!

強い

否 俺の方が強いっ

このような状況で、恐怖を感じた自分、相手の強さを感じた自分に対して、どのように向き合うかが武蔵の課題と言えます。これは、非常に難しく、そして重要なことです。これって「”強い相手”とどう向きあうか」の問題だと認識されがちなんですが、実は「その状況に陥った”自分”とどう向き合うか」の問題なんですよね。

ちなみに、僕自身も、こういう状況になると、精神的にザワつきがちなのですが、四十路も近づく今日この頃、もう少し肚の座った人間になって、己と向き合うことから逃げないようにしたいものだなと思います。

やられたらやりかえす、は必定。やらない、が大事。

今回、伝七郎と立ち合い、勝敗決せずとなった武蔵ですが、武蔵は、伝七郎と戦うつもりはありませんでした。戦うべきは吉岡清十郎のみ、と考えていたからです。

しかし、道場に殴りこんで5人を打ち殺してしまったために、伝七郎を始めとする吉岡一門が、武蔵をその場から出すことを許しませんでした。つまり、恨みを買うと、相手が執着してくるわけですね。前回、「執着は見苦しいよ」「本能はまず戦いを避ける」と言っていた清十郎は、この観点でも非常に正しいのです。無益な戦いは、すべきではありません。

現代社会においても、人は、恥をかいたことを忘れません。そして、自分に恥をかかせた人のことを忘れません。メンツを重んじるという風潮は、別に侍だけのことでもなければ、任侠映画の中だけの話でもありません。日本人に限らず、欧米人でも同じでしょう。そういう「恥を相手にかかせる」ことは、極力避けるべきです。(どうしようもない事態、というものはあるでしょうけれども)

さて、今回、武蔵と吉岡一門との間には明確な決着がつきませんでした。1年の時間を経て、再度、武蔵が京に現れ、吉岡伝七郎と再戦するまでに巻数にして20巻ほどあります。但し、本書で読み解くのは「武蔵の戦いのみ」ですので、小次郎に関して記述されている14-20巻の7冊はSKIPです。よって、13冊ほど読み解けば、伝七郎との再戦に辿り着きます。(1冊あたり3-4戦と換算すると35戦。週1連載で1試合ずつ読み解き続ければ約8-9か月後ですね。木々が色づくころには、京都に戻ってこれるかなーって感じでしょうか)

この1年(連載的には8-9ヶ月)で、どのように武蔵が成長を遂げるのか楽しみですし、それと歩調を合わせて、僕自身及び、弊社が成長できるのかどうかも楽しみです。しっかり、頑張りたいと思います。

ところで、3巻のカバーの巻末折り返し部には、こんなことが書いてあります。

「読んで得する漫画」は人気があるようだ。
ビジネスがわかる、料理がわかる、経済がわかる、博打がわかる等々。
娯楽的要素はもちろん、うんちくや情報をも 気楽に得ることができるのが喜ばれるのだろう。
ここで言っておかねばなるまい。
この漫画は「得」しません。
ただの娯楽です。

いやいや、井上雄彦先生。僕は、この本、めちゃめちゃ実用書として役に立ってますよ。ほんとに。めっちゃ「得」してます。ありがとうございます。超感謝してますです。はい。

 

連載の全体像はコチラから。

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