ビッグクエスションズ宇宙|馬場正博の「ご隠居の視点」【寄稿】

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結局は科学的な分析を追及することが宇宙を理解するということ

「ビッグクエスションズ宇宙」は、数学、物理、哲学などをテーマにしたビッグクエスションズシリーズの一つです。本書はビッグクエスションズの言葉通り、「宇宙はどれくらい大きいのか」、「宇宙はどうやって誕生したのか」といった20の質問への答えという形式で書かれています。ただ、20の質問の「一部は、何世紀にもわたる科学者たちの努力により、確実な答えがわかっている」ものも「いまだに全く答えがわかっていない」ものもあります。特に、後半の質問の「われわれの他に知的生命体は存在するのか?」「別の宇宙は存在するのか?」など答えは、いくつもの仮説としてしか存在しません。それどころかいずれ人類が「満足な答えを出せる能力があるか」どうかすら判らないものさえあります。しかし、質問の一つ一つを考えていくにつれ、次第に読者は宇宙というものの奥深さと、その底知れぬ神秘に魅了されていきます。

古代ギリシャでは哲学と科学の区別はありませんでした。と言うより宇宙、人間、微細な構造全てを思弁の中で明らかにするのが古代のギリシャ哲学でした。著者のスチュアート・クラークは天文学の記事を専門としているライターですが、編集者のサイモン・ブラックバーンは哲学者で、他のビッグクエスションズシリーズも全ての編集者となっています。本書でも質問へはあくまでも科学で答えながら、背景には哲学者の目があり、それが本書の特長にもなっています。

科学というものがはっきりとした姿を現したのはガリレオが現れたルネサンス末期からと言って良いでしょう。ガリレオは望遠鏡を作成し多くの天体を観測しただけでなく、ピサの斜塔から大小二つの球を落として地上に同時に到着する様子を観察したように(実際には創作との説もありますが)、実験によって事実を確かめるという科学にとって最も大切な仮説、検証の手法を実践しました。そして科学はニュートンの力学によって宇宙を完全に記述することに成功したように思えました。

しかし、ニュートンの描いた宇宙像は最初から大きな矛盾を抱えていました。ニュートンにとっての宇宙は無限の過去から無限の未来につながる無限に広がる空間です。もし、空間が無限でそこに含まれる星が無数にあれば宇宙のどの方向にも無数の星があるのではないか。もしどの方向にも無数の星があるなら夜空は漆黒ではなく星の表面のように明るく輝くのではないか(「宇宙はいつから存在するのか」)。宇宙が星の表面のように輝いていない理由は、宇宙が有限であるか、遠くの星々は光よりも早く地球から遠ざかりつつあるかのどちらかのはずです。そして、その結論は宇宙は有限であり、なおかつ十分離れた部分では光より速く誇張しつつあるというものでした。

宇宙はニュートンやほとんどの人が考えたような、静かで安定してはいなかったのです。始まりがあり(「宇宙はどうやって誕生したのか?」)、そして多分終わりもあり(「宇宙はこれからどうなるのか?」)、そして137億年前のビッグバンから始まった宇宙は、膨張を続けながら不断の進化を続けていたのです(「最初にできた天体は何だったのか?」他)。本書の説明は平易で宇宙論になじみのない人にも大きな苦労を与えずに読み進めるものですが、語られる内容は一般性相対性理論、量子論、インフレーション理論、ひも理論からM理論さらにブラックホール、暗黒エネルギーと多岐に渡り、最新の科学的成果、あるいは課題が幅広くカバーされています。反面、一つ一つの話題はごく概略に留まるものもあり、読者によっては物足りなさを感じることもあるかもしれません。

しかし、本書の本領は、人類が誕生し文明が生まれるまでに宇宙が誕生してなぜ137億年という年月を必要としたという事実を明らかにすることにあります。宇宙が生まれたばかりの時、存在したのは約4分の3の水素、4分の1のヘリウム、そして少量のリチウムだけでした(「最初にできた天体は何だったのか?」)。周期律表にある多数の元素は、幾世代かの星の核融合から超新星爆発の過程を経て生み出されたものです。過去の星々の生み出した重金属や多くの元素が集まることで地球が生まれました。指に付けている金の指輪の材料は地球よりも古いのです。

生命はその地球で誕生しました。しかし、地球だけが生命を生み出すことができたのでしょうか(「火星に生命は存在するか?」)、いや全宇宙で地球にしか生命は存在しないのでしょうか(「われわれの他に知的生命体は存在するのか?」)。それ以前に生命をどのように定義すればよいのでしょうか。定義がなければ生命が存在するかどうかいう問いかけに意味はないのかもいれません。しかし、誰もが合意する生命の定義はありませんし、地球の生命体以外の生命の形があるかも答えはありません。同じことは知能、認識というものにも当てはまります。言えるのは、地球には生命が存在し、人類が知能と自己認識を持っているというのは、定義以前に自明だということだけです。

本書を読み進んで行くと人類が今存在し、宇宙の理解をしようとしていることは奇跡それも無数の奇跡の結果としか思えなくなります。物理定数の多くは「微調整され」て物質や宇宙が現在のように進化し続けることを可能にしています。木星が存在して太陽系の内外の危険な小天体を掃除してくれなければ、地球は不断に巨大隕石の衝突を受け、文明の誕生どころか生物の進化も困難だったでしょう。月の存在さえも、潮の干満で海岸線に豊かな生命の存在場所をつくることで海から陸に生物が上陸する大きな役割を果たしています。生物が陸上に存在しなければ、人類のように火を使い、両手で石器を穿つ文明を作ることもできなかったでしょう。

なぜ、そんなに何もかも都合よく出来上がっているのでしょうか。実は現在の世界は無限の可能性の中で、人類の発生に都合の良いものに、たまたま私たちが存在しているだけなのかもしれません(「別の宇宙は存在するのか?」)。このような想像はまったく架空のものと思われてきましたが、ひも理論は並行宇宙の可能性を示唆していて、科学者たちは並行宇宙の存在の検証を行おうと考えています。

並行宇宙の存在だけではありません。光速を超えて移動することを不可能だとしているアインシュタインの相対性理論さえ正しくないかもしれません(アインシュタインは正しかったのか?))。それどころか今まで前提としてきた、物理法則が不変であるということも誤っている可能性さえあるのです(「時間と空間を超えて旅行できるか?」、「物理法則は変化する可能性があるか?」)。

人類が宇宙と自分自身を認識し理解しようとしているのは間違いありません。そのような人類が生まれたのは単なる偶然なのでしょうか。無限の可能性の中で人類が生まれる可能性の経路をたまたま私たちは見ているのでしょうか。それとも宇宙が自分自身を認識するために人類を作り出したのでしょうか。この疑問は最終章のクエスション「宇宙は神の存在の証明になっているか?」にいたります。この問いかけの答えはありません。しかし、読者は本書を読み進む中で、神という存在を受け入れるべきか(ここでも「神」の定義が問題になるわけですが)、あくまでも科学的な分析を追及することが宇宙を理解するということなのかということを考えるようになるはずです。そして本書の読了後多くの読者は自分なりの答えを持つことになったのではないでしょうか。

(本記事は「ビジネスのための雑学知ったかぶり」を加筆、修正したものです。)


馬場 正博 (ばば まさひろ)

経営コンサルティング会社 代表取締役、医療法人ジェネラルマネージャー。某大手外資メーカーでシステム信頼性設計や、製品技術戦略の策定、未来予測などを行った後、IT開発会社でITおよびビジネスコンサルティングを行い、独立。

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