インダストリー4.0をめぐって|馬場正博の「ご隠居の視点」【寄稿】

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インダストリー4.0が目指すのは製造プロセスをERPのようにシステムでつなげてしまおうというもの

マルクスの「共産党宣言」の冒頭を真似ると「ドイツに幽霊が出る。インダストリー4.0という幽霊である」とでも言ったら良いでしょうか。インダストリー4.0の4.0は4番目のことなのですが、これは19世紀の蒸気機関による第1次産業革命、そして20世紀前半の電気による第2次産業革命、20世紀後半のコンピュータによる第3次産業革命に続き、21世紀に入りインターネットによって第4次の産業革命が起きるということを意味しています。

けちをつけると、3次までの産業革命の分類も必ずしも世の中で一般的に受け入れられているというわけではありません。この種のIT用語によくあるように「革命だ革命だ」と大騒ぎしてもいつの間にか消えてしまうはずだ、と眉に唾をつけて聞いておくのも悪くはないかもしれません。そう言えばインターネットを19世紀の第1次産業革命(これは誰も異議はないでしょう)に続く、第二の産業革命だと聞いたような気もします。そもそもIT関係の新しい動きはほとんどアメリカからなのに、なぜインダストリー4.0はドイツなのか。

インダストリー4.0という名前は、コンピューター化の推進で製造業の競争力を高めようというドイツ政府のプロジェクトから生まれました。プロジェクトのワーキンググループが2011年のハノーヴァー博で最初にこの言葉を使ったのです。このプロジェクトのリーダーの一人はSAP社の社長を務めたヘンニヒ・カガーマンなのですが、SAP社と聞いてERPの元祖と判る人にはインダストリー4.0の本質が見えてくるのではないでしょうか。

ERPはSAP社が1980年代に初めて製品として世に送り出しました。ERPの目的(実際には「究極の」を付けるべきですが)は、企業の資源(金と物)のリアルタイムの管理です。日本語では企業統合システムと訳されることが多いのですが、ERPとはEnterprise Resource Planningの頭文字を取った名前です。例えば、物品を販売したとしましょう。会計上は顧客に物品を渡した瞬間に、物品は在庫の項目から現金の項目に変わります。しかし、実際には売り上げの報告、現金の出納、在庫品の減少は別個のシステムで管理されています。ERPはそれらを連結して、売り上げの発生と在庫の減少、現金の増加をリアルタイムで(つまり限りなく同期させて)行おうというものです。

ERPが完全に機能すれば、販売数量、在庫、現預金のような企業の資源をリアルタイムで把握することができることになります。販売データの遅れから、売れてもいない製品を作り過ぎ、それが資金繰りに重大な影響を与えるようなリスクは大幅に減少するはずです。ERPは会計という軸で企業経営をリアルタイムベースで行うことを可能にするのです(繰り返しますがこれは「究極」の目標です。完全に一元化されたシステムを持つ企業は、まだ存在しないと言ってよいでしょう)。

インダストリー4.0が目指すのは製造プロセスをERPのようにシステムでつなげてしまおうというものです。しかも、それは製品が完成して、作業員がコンピューターに完成品の在庫を入力するというレベルではありません。あらゆる製造プロセスはネットで連結され、場所が別々でも、仮想工場として一体的に機能するのです。そんなことが可能になるには、製造工程がモジュール化され、製造機器に取り付けられた多数のセンサーが状況をデータとして逐一把握し、互いにネットを通じて自律的に連絡することが必要です。これはあらゆるものがインターネットに接続されるというIoT(Internet of Things)が製造現場で実現された環境です。

インダストリー4.0が目指している(今のところ夢見る)のは、ある製造プロセスで機械に故障があったことがセンサーによって確認され、そこの製造モジュールの生産量が低下されると予測された時、リアルタイムで代替品を作るモジュールに増産のシグナルが送られ、自動的に部品不足が回避される、そんな世界です。

企業活動を製造、在庫、流通、販売、会計のようにモジュール化し、互いをリアルタイムで連結するというのが、ERPの思想でした。しかし、歴史を振り返るとERPは数々の困難に直面しました。各モジュールがリアルタイムで連携するには本来は全てのシステムが一個のソフトウェアで管理されているのが理想です(実際、SAP社はそうしようとしました)。しかし、膨大な企業システムを簡単に統合されたシステムの置き換えることはほとんど不可能です。企業活動をモジュールに分けそれらの連携をさせるのは大変な作業でした。それに、業務プロセスは企業ごとに違っているため、SAP社が提供する既製品の業務ソフトウェアで置き換えることは現場の大きな抵抗を伴いました。

ERPの導入は特に日本では難航しました。日本企業のシステムは非常にきめ細かいサービスがあり、SAP社の提供する業務ソフトウェアでは到底すべてをカバーしきれないのが普通でした。それにリアルタイムであらゆる資源を管理すると言っても、売り上げを何時立て、何時物品が納入され、何時支払いが行われるかといったことは、伝統的な商習慣もあり、単純にシステム化することはビジネスを行う上で大きな問題がありました。

インダストリー4.0を実現するための困難も恐らくこれと似たものになるでしょう。製造プロセスを完全にセンサー付きの自動機械に置き換えIoTでサイバー空間を超えて連携するなどと言っても、製造工程のモジュール同士のコミュニケーションのための標準化は気の遠くなるような作業です。しかも狙っているのは地域、企業を超えた仮想工場です。冷静に考えれば、それで得られる利益はどれほどものかも問題です。

日本の企業はどう対応すべきでしょうか。「ドイツの製造業は4.0化される。日本の製造業は取り残されてはいけない」とばかり、インダストリー4.0化プロジェクトを大急ぎで結成するのは、いささか気が早すぎるように思えます。しかし、日本の製造業の強みを物つくりの情熱とスリ合せと呼ばれる濃密な納入先との関係と考えて、インダストリー4.0の提唱する製造プロセスの連携を可能にする標準化、モジュール化の方向性から目を塞ぐのは危険です。ERPが当初のバブル的な熱狂とそれに続く失敗の連続から「あんなものは日本企業に合わない」と無視を決め込んでいるうちに、日本のIT業界は手作りの非効率でブラックな産業になってしまったのです。

今から考えると、ERPはビジネスプロセスの標準化を行い、ビジネスリエンジニアリグを推進する強力なツールだと思ったことが間違いの始まりでした。ERPはその名の通り、企業の資源をリアルタイムで管理するという理想を目指していたのです。ERPでビジネスリエンジニアリングをするというのは、小さな服を着れば痩せることができるというのと同じで、無茶な発想だったのでした。インダストリー4.0も単純な効率化を目指しているのではありません。自律的に機械や製造モジュールが連携することで現在よりはるかに柔軟で多様な製造業を実現することがインダストリー4.0の本来の狙いです。それを見失って、闇雲にインダストリー4.0に飛びつくのは賢いとは言えないでしょう。

ただ、日本が緻密なコンピュータシステムと商慣習のしがらみにこだわって、ERPの導入が遅々として進まなかった間に、システムは所詮道具で業務はITに合わせれば良いと割り切った、欧米(日本以外のほとんど国と言っても良いかもしれません)が手作りからパッケージソフトへ急速に移行したことは忘れるべきでははないでしょう。緻密なコンピュータシステムを物つくりの情熱、商慣習のしがらみをスリ合わせと置き換えると、ERPとインダストリー4.0はよく符合します。

インダストリー4.0に関連したキーワードとしては、ビッグデータ、クラウド、IoTといった、最近はやりのIT用語が並べられています。それらは単に別の名前で呼ばれていた既存の技術に過ぎないものも少なくありません。同様にインダストリー4.0が今まで、見たことも聞いたこともない考え方というわけではありません。しかし、インータネットによる相互接続が、ムーアの法則(最近終焉がささやかれ始めていますが)であらゆる機器に広がりつつあるというIoTのインパクトを軽く考えることは間違いです。また、IoTがあらゆる機器から生み出される膨大な、まさにビッグデータの世界であるのも確かです。そのビッグデータは、個々のコンピュータシステムではなくクラウドという仮想的な巨大コンピュータの中で世界中から共有されます。インダストリー4.0は、それらのバラバラなキーワードに一定の方向づけと意味を与えようとするものです。時代は大きく変わろうとしています。製造業がその例外でいることはあり得ないのです。

(本記事は「ビジネスのための雑学知ったかぶり」を加筆、修正したものです。)


馬場 正博 (ばば まさひろ)

経営コンサルティング会社 代表取締役、医療法人ジェネラルマネージャー。某大手外資メーカーでシステム信頼性設計や、製品技術戦略の策定、未来予測などを行った後、IT開発会社でITおよびビジネスコンサルティングを行い、独立。

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