ギックスの本棚/火の鳥(手塚治虫):(11) 異形編 【GAMANGA BOOKS|小学館クリエイティブ発行】

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ループ構造の中の、ループ構造

本シリーズでは、火の鳥を読み解いていきます。火の鳥の全体構成については、コチラをご参照ください。(尚、本稿で紹介するのは、小学館クリエイティブ発行の「GAMANGA BOOKS」の「火の鳥」です。)

あらすじ

こういうのは、僕がクドクドかくことでもないので、GAMANGA BOOKS版 火の鳥の裏表紙より引用します。

7世紀末。領主の娘・左近介は、 蓬莱寺のどんな病でも癒すと評判の八百比丘尼という尼を殺すが、

城に戻る途中、不思議な力が働いて寺に戻されてしまう。

本作の特徴

火の鳥シリーズ全体が、大きなループ構造になっている、ということは、本連載の冒頭で述べたとおりです。超未来を描いた2作目「未来編」のラストが、大過去を描いた1作目「黎明編」の冒頭へとつながる、という流れが、 大過去→過去→現在→近未来→超未来→大過去→・・・ というループ構造を示唆するわけです。

しかし、この異形編は、この単体ストーリーの中でも「ループ」が起こる、という構造になっています。

時間の流れから切り離された「八百比丘尼(はっぴゃくびくに/やおびくに)」

八百比丘尼(はっぴゃくびくに/やおびくに)の伝説は、人魚の肉を食べて不老不死となった女性に関する伝承です。八百歳まで生きたという話のようですが、冷静に考えれば、八百歳で死んでから名付けられたのかよっって話にもなるので、まぁ八百万(やおよろず)の神々と同じで”すげぇ長生き”というニュアンスと考えるべきでしょう。つまり「永遠の命」という話ですね。

しかし、本作では「不老不死」ではありません。この話の構造は、正直いって「ドン引きするくらい凄い!」と思いました。どういうことか?

  • 地方豪族である八儀家正の病気を治すために、病を治す不思議な力を持つという八百比丘尼が屋敷に呼ばれる
  • 家正の(息子として育てられた)娘である左近介は、父が病で死んでくれることを望むあまり、八百比丘尼を殺すことを決める
  • 嵐の夜、八百比丘尼の住む「蓬莱寺」に付き人の可平(かへい)と共に訪れた左近介は、八百比丘尼を殺す
  • その際、八百比丘尼は「何日かたって、あたなはこの場所が外の世界と違うことがおわかりでしょう あなたは死ぬまで ここからのがれられませぬ」という不思議な言葉を残す
  • その言葉通り、左近介と可平は、寺からでることが叶わない(が、外部からの訪問者は自由に行き来できる)
  • 左近介は、八百比丘尼として、寺に訪れる病人を30年にわたり治療し続ける。尚、その際に、自分の生きていた時代よりも古い「応仁2年」と書かれた旗を見るなどして、「時間が逆行」したこと、つまり、自分が過去の時間を過ごしていることを知る
  • 30年の時が流れ、八儀家正の使者が訪れ、病を治すために屋敷に呼ばれる
  • そして、寺に戻った左近介=八百比丘尼は、若い自らに殺される。殺した左近介は、屋敷に留まり、八百比丘尼として生きることになる。

という「ループ構造」になっているわけです。(余談ですが、この物語の舞台である「蓬莱(ほうらい)寺」は、「鳳来寺」と同音であるというのは、僕の考えすぎでしょうかね?)

このループ構造を1980年に思いついたのがヤバい

さて、このループ構造は、いまとなっては「どこかで聞いた話」かもしれません。設定として酷似するのは「蟲師」の「香る闇」ですね。また、ある場所から出られないという設定で、僕が最初に思いつくのは、世にも奇妙な物語の「峠の茶屋」とかですかね。しかし、これを、いまから40年近く前の1981年の連載で具現化しているのが素晴らしいです。

さらに、自らを殺すのが自らである(あるいは、自らが殺したのが自らである)という事実は、非常に重い設定です。この葛藤の描き方も最高です。やはり、手塚治虫おそるべしというところでしょう。

そして、火の鳥が登場し、八百比丘尼=左近介に「罪と償い」について説明します。

火の鳥:「そんなに自分が殺されるのがこわいのか あなたは人殺しの父を憎んだ それなのに あなた自身 人を殺したではないか?」

左近介:「・・・でも父が助かればもっともっと大勢の人間が殺されたわ」

火の鳥:「だから しかたがなかった というのですか? 罪は同じです!! だから裁きをうけるのです」

火の鳥:「未来永劫 あなたはくり返し殺されつづけるのです」

火の鳥:「外の時間は三十年のあいだを何度も何度も繰り返します そのたびに 外から新しいあなたが来て あなたを殺し 入れ替わることになるのですよ」

そして、最後に、この償いのループから逃れるきっかけについても語ります。

「あなたは残された二十年のあいだ 無限におとずれる すべてのものの命を救ってやることです それが出来ればあなたの罪も消えるでしょう」

「三十年ごとに時間はいったん現在へもどります 次の三十年の逆行までにほんの一日 この場所は外へひらくのです もし罪が消えていれば その機会に 外の世界へ逃れることができよう」

「もし罪が消えていれば のことですよ・・・・」

つまり、自らが、自らを殺す(今の時点でいうと、自らが、自らに殺される)という罪を罰を永遠に繰り返すわけですね。それが終わるのは「もし、罪が消えていれば」という不確実な状況になった時のみ。

しかも、火の鳥から見れば、何度も繰り返しているループであっても、この状況に置かれた八百比丘尼は「初めて、その状況になる」わけです。その状況下で”償いが終わる”ということの条件を満たしているかどうか、判断できるはずがありません。

では、どうすれば、この「償い」は終わるのか。そのヒントが、火の鳥の言葉に隠されています。それは、八百比丘尼が「妖怪(もののけ)」を治療したことに対して述べたこのセリフです。

私がここへよこしたのですよ あなたがどう応対するか ためしてみたかった (中略)

そう・・・あなたはよくおやりだ 左近介 あなたは一つの関門を通り抜けました

僕の勝手な想像ですが、「前回」あるいは「前々回」の八百比丘尼は、妖怪を恐れ、忌み嫌い、治療することを避けたのでしょう。それは「罪を償う」ということから考えると、全然ダメ、ということになります。

結局のところ、左近介の罪は「命を軽んじた」というところにあります。これは、生命編において、青居が犯した罪と同じです。青居は、自分のクローンが無残に殺され続けるということで命の大切さを知り、自らの命と引き換えにクローン施設を破壊することで「命を軽んじた」償いをします。一方、左近介は、多くの命を守るためということで、父親の命と、八百比丘尼の命を軽んじてしまったが故に、妖怪や怨霊の傷や病を治すことで、命の重さに向き合うように仕向けられたのでしょう。

「今回」の左近介は、そこをクリアしました。これによって、一歩、救済に近づいた、ということなのかもしれませんね。

尚、余談ですが、wikipediaによると、この妖怪を治すくだりは、初出時には宇宙人?宇宙生命体?を治すという設定だったようです。これが、妖怪になっているのは、次作にして最終作品である太陽編との整合性をとるため、と言われています。このあたりは、次回、太陽編の書評にて詳しく解説したいと思います。

この時代の「猿田」は、救いのない存在

左近介の父である八儀家正は、病によって鼻が醜く腫れ上がっています。つまり、これが「猿田」ですね。病気になる前の顔も、黎明編のときの猿田彦にそっくりです。また、八儀家正は、ナギに出会う前の猿田彦と同様に、非常に残酷で、戦で功をあげること心血を注ぎます。ナギとの出会いによって、人間らしさに目覚めた猿田彦でしたが、この時代には、人間らしさに目覚めることのない人物として描かれます。

宇宙編で、火の鳥によって猿田に与えられた「罰」すなわち「みにくい罪の刻印を顔に刻んだ上で」「永遠に宇宙をさまよい みたされない旅をつづける」の、みたされなさが、この権力への枯渇と、家族からの愛を得られない状況にあらわされているのかもしれませんね。

いよいよ、次回は、最終編にして、火の鳥シリーズ内の最長編である「太陽編」のご紹介です。どうぞお楽しみに。

ギックスの本棚:火の鳥を読み解く 連載記事一覧はコチラの最下段から

 

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火の鳥 9 生命・異形編 (GAMANGA BOOKS)


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