ギックスの本棚/火の鳥(手塚治虫):(9) 乱世編 【GAMANGA BOOKS|小学館クリエイティブ発行】

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大義に翻弄される他人の苦しさを知れ

 

本シリーズでは、火の鳥を読み解いていきます。火の鳥の全体構成については、コチラをご参照ください。(尚、本稿で紹介するのは、小学館クリエイティブ発行の「GAMANGA BOOKS」の「火の鳥」です。)

あらすじ

こういうのは、僕がクドクドかくことでもないので、GAMANGA BOOKS版 火の鳥の裏表紙より引用します。

上巻:
平安時代末期。木こりの弁太は恋人のおぶうを平家の侍に連れ去られてしまう。
おぶうは平清盛に仕えるようになり、弁太は源義経の家来になる。
病に苦しむ清盛は、一族の繁栄を維持するために、永遠の命が手に入るという火の鳥を手に入れようとしていた。
一方の義経は天下を狙っていた。
源氏と平氏の戦いを縦糸に 数奇な運命に巻き込まれた恋人たちの命運は・・・

下巻:
平安時代末期。一族繁栄のため、火の鳥の生血を手に入れようとする平清盛は ついに願いを果たさないまま高熱に苦しみ死んでいく。
弁太の恋人だったおぶうは 平氏と共に都から落ち延び、弁太は義経の軍勢に従う。
壇ノ浦で、義経はついに平家を破ったが、兄・頼朝との間に軋轢が生じて・・・。
源平氏の戦いを背景に運命に翻弄される恋人達の悲劇の結末編。

鳳凰編からのつながり

鳳凰編の我王が、鞍馬の天狗として再登場します。彼は、「怒り」と向き合って生きた後に両手を失いましたが、鳳凰編の最後に、こんなセリフを残しています。

美しい・・・・ なんと美しい世界だろう・・・・ (中略) なぜおれは泣くのだろう なぜこんなに天地は美しいのだろう

そうだ ここでは なにもかも・・・ 生きているからだ! (中略) おれは何年かぶりで都へ出てよくわかった あの貴族どもの目――― 藤原仲麻呂にせよ橘諸兄にせよ 目が死んだ魚のようにうつろだった! しかも茜丸の目の光までが死んでいた

良弁さま あなたがなぜ この世から逃げてしまわれたのかわかります

だがおれは死にませんぞ

この山はおれが住むのにちょうど良い 俺は生きるだけ生きて・・・ 世の中の人間どもを生き返らせてみたい気もするのです

そして、エンディングは

伏見の我王とブチがそのあとどうなったかはだれも知らない

「逸文風土気」によれば 山背国乙訓郡の地に 隻眼の怪僧現われて木仏をよくし 齢百余歳にして狗賓となる云々

我王があのエネルギッシュな生命力を保ちつづけ その地方の民族信仰に変化していったことは大いに想像できるのである

と括られます。鳳凰編の終わりが大仏建立の752年で、鞍馬の天狗と呼ばれる我王が天に召されるのは1176年の頃ですので、400年以上の時を「仙人」のように過ごしたことになります。

本編の流れ

本編は、源平の合戦を題材としています。主人公としてふるまうのは「木こりの弁太」すなわち「弁慶」です。

その相棒として登場する源義経は、生意気な若造です。一方、その敵役である平清盛は、黎明編の卑弥呼と同様に不老不死を望みます。自分が生き続け、自分が権力を握り続けたい、という欲望にまみれています。

尚、義経には、一般的には、もう少し悲劇のヒーローなイメージ(まさに判官びいき)があるように思うのですが、本作ではかなり自己中心的なイヤな奴として描かれます。しかしながら、それよりも弁慶の位置づけ・解釈が、一般的な歴史と大きく異なっていることに目を引かれます。

弁太は、許嫁である「おぶう」を役人に連れていかれてしまいます。絶世の美女である おぶう は、平清盛の側女(そばめ)というか、側室的な存在として暮らすことになります。一方、おぶうを失った弁太は、乞食暮らしをしながら五条橋で役人狩りを行います。(これをモデルとした”刀狩り”を、天台座主明雲が平家物語のエピソードとして記載した、とされます。)そんな中、乞食仲間に引き合わされた鞍馬天狗のもとで牛若と出会い、共に恨みのある「平氏」に戦いを挑むことになっていきます。

本編は、火の鳥シリーズの最後の1作、太陽編に次ぐ長編です。平家物語という非常に有名な題材を下敷きに、火の鳥伝説を組み合わせた本作は、非常に読み応えのある一編です。

ちなみに、この乱世編では、火の鳥は登場しません。火焔鳥と呼ばれる不老不死の鳥がいるという伝説はありますが、その伝説の鳥として扱われるのは中国(宋)から届けられた、ただの孔雀です。それでも、平清盛や木曽義仲は、火の鳥という幻想を求めて、多くの人を殺します。また、頼朝が義経を暗殺しようとしたのも、火の鳥の生血で義経が不老不死となることを恐れたから、と述べられます。ありもしない幻想を追い求め、それを恐れた結果、多くの人が殺されてしまうわけです。

恨みと復讐に彩られた殺戮の因果

本書では、主な登場人物の大半が、殺されてしまいます。

おぶう、義経、木曽義仲、弁太の乞食仲間のヒョウタンカブリなどなど。平清盛は史実通り病死で、生き残るのは頼朝くらいです。

木曽義仲は、ヒョウタンカブリに殺されます。理由は、木曽義仲の部下がヒョウタンカブリの仲間を殺したから、です。復讐なわけですが、これは「部下がそんなことをした」という認識は特にないまま義仲は殺されます。義仲は、妻である巴を長生きさせたいという思いで動いていたが故に、自らの死を招きます。

そのヒョウタンカブリは、実の父である越中盛利を、そうとは知らずに殺します。これは「サムライ憎し」という思いからです。そんなヒョウタンカブリは、義経に殺されます。義経は、昔なじみであろうと、邪魔なもの、自分には向かうものは許さないのです。

さらに義経は、自分の前に立ちはだかったということで、おぶうも切り殺してしまいます。(しかも、弁太の目の前で)

そして、義経は、史実通り、奥州平泉の藤原氏によって討伐されます。

井上雄彦氏の漫画「バガボンド」の「殺し合いの螺旋」にも似た、悲しい殺戮の因果関係がここにあります。

ただ一人「普通」の人間でありつづけた弁太

そんな中、ただひとり、弁太だけが普通の人間であり続けます。昔なじみのヒョウタンカブリを義経に殺され、最愛のおぶうも目の前で義経に切り殺され、復讐心に駆られますが、結局は復讐を果たせずに「普通の幸せ」を願って暮らします。

弁太は、最初から最後まで、恋人を愛する善良な男です。おぶうを連れ去られた後、おぶうを、ただひたすらに探します。義経は、おぶうの存在をうまく利用し、平家討伐と自らの出世欲を満たすために弁太を使います。愛したおぶうも、(別に権力の虜になったわけではないのでしょうが)平家の女としての人生を選びますが、それに対しても、恨みを感じたりはせず、ただひたすらに愛し続けます。

おぶうが死んだと聞かされた後は(実際には生きていましたが)、ヒノエという村娘を妻として娶り、夫婦として暮らします。しかし、そんな暮らしも、義経の引き起こす戦によって打ち砕かれます。望郷編で、ロミによってエデナが翻弄されたように、誰かが望みを叶えようと求めると周りは振り回されてしまうのですね。

時代の潮流に押し流されることの悲しさ

ここで、本書の冒頭で語られる「猿の赤兵衛」と「犬の白兵衛」の悲しい話を思い出していただきたいと思います。良き友人同士で会った赤兵衛と白兵衛は、犬と猿という種族の壁を越えて非常に仲良く過ごしますが、それぞれが、種族の長となったのちには「自らの種族・仲間を守る」という理由で対立し、最後には殺しあって共に死んでしまいます。

全ての戦いには大義があるわけです。それぞれに「守りたいもの」があり、それぞれに「果たすべき目的」があります。そして、その目的・大義の達成のために、旧知の仲でも躊躇いなく殺してしまう義経の姿は、本書を読了後に、冒頭に戻って赤兵衛・白兵衛の話を読み返したときには、悲しみを通り越して、哀れさを感じさせるように思えます。

そんな「当事者でさえも哀れさを感じさせる」中で、ただひとり「平和」を求めながらも、それがかなわなかった弁太のセリフは悲痛です。

また いくさァ またもやオッ始めるのか もうたくさんだ

オイラァ 平和・・・ 平和がすきなんだァ!

現代においても、多くの国で、戦争や紛争が繰り返されています。そこには、それぞれの大義があり、それぞれの正義があるのでしょう。しかし、この弁太の悲痛な叫びを思い起こしたとき、為政者が抱える大義や正義とは、果たしてなんなのかだろうかと考えてしまいますね。

連載形式で火の鳥を読み解くこのシリーズ。すでに1年以上が経過しましたが、残すところあと3編です。近未来を描く生命編、戦国時代を描く異形編、そして、未来と過去を行き来する太陽編を、しっかり読み解いていきたいと思います。

ギックスの本棚:火の鳥を読み解く 連載記事一覧はコチラの最下段から

 

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火の鳥 7 乱世編(上) (GAMANGA BOOKS)


火の鳥 8 乱世編(下) (GAMANGA BOOKS)

 

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