ギックスの本棚/火の鳥(手塚治虫):(3) ヤマト編 【GAMANGA BOOKS|小学館クリエイティブ発行】
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- POSTED : 2014.07.11 08:58
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ちっぽけな人間が必死で「歴史」をつくる意味はあるか?
本シリーズでは、火の鳥を読み解いていきます。火の鳥の全体構成については、コチラをご参照ください。(尚、本稿で紹介するのは、小学館クリエイティブ発行の「GAMANGA BOOKS」の「火の鳥」です。)
あらすじ
こういうのは、僕がクドクドかくことでもないので、GAMANGA BOOKS版 火の鳥の裏表紙より引用します。
ヤマト国の王子・オグナは、父の名を受けクマソ国に潜入する。
オグナの真の目的は、クマソの王を倒すことではなく、クマソに伝わる火の鳥の生血を手に入れる事ことだった。
ストーリーの特徴
物語は、奈良県の明日香村にある石舞台古墳から始まります。そして「ひとつ・・・こういう物語はいかがでしょうか?」と、これはフィクションであるという前提を置いたうえで始められます。そして、「完成形」と言いにくいこの石舞台古墳が何故できたのか、という視点で書きすすめられていきます。
この物語のテーマは、戦争ではありません。「権力者の我欲(名声欲)」が主なテーマです。その我欲が、己の名を後世に残すために「都合の良い歴史」を作り上げたり、「大きな古墳」をつくる原動力となっています。
また、火の鳥の立場も”黎明編”とは大きく違います。
まず、クマソでは「クマソの守護神」として扱われています。最年長の老人が黎明編のエンディングで地上に出た”クマソの子孫”(火の鳥に見守られて育ち、地上に出るにあたっても火の鳥が励ましました)であることに起因しているようです。
そして、火の鳥を狙う主人公オグナも「火の鳥の命」は狙いません。少しだけの血がほしい、ということですし、また、不老不死がほしいわけでもありません。「仲間が死なないように」という思想です。そして、そのアプローチも「笛を吹いて手なずける(仲良くなる)」という柔和なものとなります。
歴史は勝者によってつくられる
この王は、黎明編のヒミコのように「自分自身が永遠に生きる事」を求めたりはしませんでした。しかし、歴史に名を残すこと(そのために、自ら歴史を編纂し、大きな墓所を築くこと)を強く望んだわけです。これは、黎明編にでてきたニニギも同様でした(火の鳥を見ても、不老不死のために生血を望むのではなく、永遠に生きて歴史を語れ、と言います)。本編のヤマトの王は、ニニギの子孫ですので、そういう考え方が代々継承されているのかもしれません。
本書の中で、ヤマトの国と、クマソの2つの国で「歴史」が記録されようとしています。それに関する記述を引用します。
ヤマト王朝の古事記とか日本書紀なんかには そういうわけでクマソを未開人扱いしたり悪人みたいに書いてある
もしクマソのだれかが当時のクマソの記録を書き残したとしたら 古代日本の歴史はかなり変わっていたかもしれない
だが残念ながら それは残っていない
いずれにせよ クマソ側から見れば ヤマト王朝のクマソ征伐は あきらかに侵略ということができたろう
つまり・・・歴史とはあらゆる角度から あらゆる人間の側から調べなければ ほんとのことはわからないものなのである
勝者が「自分に都合の良い歴史」を書き、後世に残す。そういうものなんです。
個人的には、起業家の成功も同じようなものだと思っています。成功には、多分に「運」が影響しますが、多くの成功者の自伝には、自分が如何に素晴らしかったかが書かれています。(そして、その本を若くして出版した方の多くは、数年後には、その成功の鍵を無くしてしまったのか、表舞台から消えてしまいます。)
勝てば官軍とは良く言ったもので、勝っているうちは、何を言っても「成功の秘訣」となるわけです。しかしながら、僕は、世の中で語られる「成功の秘訣」の大半は、「宝くじの当て方」を語っているだけだと思っています。書いてあることをそのままトレースすれば宝くじが当たる、と言われても、誰も信用しないでしょ?そういうことです。
それはさておき、火の鳥に話を戻しますが、本編では「自分の都合の良い歴史」をつくるために他国に戦争を仕掛け、滅ぼしてしまう。そんな傲慢な権力者の姿が描かれています。
偉大な王のための偉大な墓
歴史に名を残す、という目的で「大きな墓」の竣工も進められます。エジプトのピラミッドもそうですが、日本の古墳も「絶対的な権力の証」として作られるわけです。
それだけならともかく、まわりに奴隷などを生き埋めにして、死出の旅の供とするというのですから、たいへんなことです。主人公のヤマト・オグナ(改め、ヤマト・タケル)は、その殉死をやめさせようとします。
殉死なんて ばかなしきたりをやめさせる方法があるんだ(中略) 人間を埋めたってどうせ骨になってしまう
それならいっそ 人間の形をした土人形をつくってかわりに埋めるんだ 代用品だ
人間だけじゃない おやじが生前使い慣れていた道具や 家や 武器なんか みんな似せてつくるんだ
埴輪(ハニワ)という奴ですね。しかし、古来からの風習にこだわる他の王族には認められません。結局、王族であるヤマト・オグナ自身も殉死させられてしまいます。
しかし、彼の言うことが正しい、ということは、おやじ=王が死ぬ間際に独白する言葉からも明らかです。
予ハ モウ 死ヌノダ
ソウ 死ヌノダ タッタイマ! 死ヌ?死ヌッテ? ダ ダレガ?
予ガ死ヌ? ホントカ? バカゲテイル! メッソウモナイ!
ダレガ 予ニ 死ネトイッタ 予ハ死ヌ気ハナイワイ
アノ墓ハ タダノ カザリジャイ
ダレカ助ケテクレエ 死ヌノハヤダァ
予ハ イママデ ナンノタメニ生キテキタンダ? 墓ヲツクルダケノタメダッタノカ?
ナント クダラネエ人生ダ
死んでしまえば、墓は、死者本人にとっては何の意味も持たない、ということですね。(尚、ヤマト・オグナの訴えは数年後に実を結ぶことになります。)
利他の心を持つヤマト・オグナ
本編での火の鳥は、ヤマト・オグナの笛の音を楽しみます。そして、彼を助けます。
クマソの王を殺して逃亡したヤマト・オグナが無事に逃げられるように手助けをします。そして、自ら進んで血を与え不老不死となることをすすめます。
これは、非常に珍しいことです。少なくとも、黎明編・未来編では「自分からすすんで血を与える」というようなことはありませんし、例えば、次回ご紹介する宇宙編においても「自ら与えた」が、それは助けるためではなく罰を与えるためです。
しかし、ヤマト・オグナは、あくまでも「利他」の精神を貫きます。生き埋めにされる奴隷たちを助ける、という本来の目的を忘れず、生血は、埋められてしまう仲間が、なんとか生きながらえるために使うのです。
天は自ら助くる者を助く
結局のところ、己のために生きた者は目的を果たせず(立派な墓にも入れなければ、後世に名も残せず)、誰かのために生きようとしたものがその目的を果たすことができた(皆で生き延びる、とまでは行かなかったが、愚かな風習を後年やめさせた)というわけです。
そして、火の鳥は、その「誰かのために生きようとした ヤマト・オグナ」を助けました。
未来編において、火の鳥は「地球の分身だ」と名乗りました。その地球の分身=大いなる意思がヤマト・オグナを助けたということは、思想的に言えば、いわゆる「神の意思・神の加護」に近いと思いますから、まさに、”天は、自ら助くる者を助く”となりますね。
手塚治虫は、人の愚かしさを描き続けながら、それでも、尚、人の美しさを見出そうとしていると僕は思います。(未来編の主要な登場人物も、非常に人間臭かったですよね)
本作”ヤマト編”においても、王のことを「歴史をつくる・歴史に名を残すことを目指すエゴのカタマリ」として描いたわけですが、主人公のヤマト・オグナは「人間の美しい側面」を代表して表されているのでしょう。そして、その「人間の美しい側面」を火の鳥が助けた、という構図ですね。
己の為だけに生きるのではなく、誰かのために生きること、の重要性を説いているのだと僕は思います。このメッセージは、次作”宇宙編”においても色濃く表れているように思いますので、次回は、そのあたりを掘り下げていきたいと思います。
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